釈尊の聖言 「三種の希望」

釈尊の聖言 
 ビクらよ、ビクに希望なき人と希望ある人と、希望を超えたる人の三種あり。希望なきビクとは戒を守らず、性質悪しく、清浄ならず不信の行為をなし、なしたるを包みかくし、シャモンの如くふるまい、心腐れて欲に満ち、他のビクの煩悩を滅ぼし、覚りを開きたるを聞くも希望を持たざるビクなり。
 希望あるビクとは戒をたもち、善き性質を有し、他のビクの煩悩を滅ぼし覚りを開きたるを聞きて希望をもつビクなり。希望を超えたるビクとは煩悩を滅ぼし、覚りを開きたるを聞くも、希望をもつことなし。何故なれば、すでに解脱せるが故なり。
  「三種の希望」
 仏教は覚りを目的とする。その目的に対して三通りの反応の仕方があると云う。いかにも目的を追求しているが如く装うが、内心に何らの希望も持っていない者。
 目的を真剣に持つが故に、あらゆる刺激が自分の希望に関わるような、楽観的なしかも積極的な者。それには必らずそれなりの報いが現われてくる。自らの修道実践は単なる観念性ではないから、現実としての効果があるものである。又そのようにすじ道として確信出来ることによって、希望はますます燃え上がるものである。
 すでに目的に到達した者にいわゆる希望が続くわけではない。それは次の段階への新たな希望というか、おのずから、やらねばならぬ事において、いよいよ静かに燃えるものがある。慈悲行動がそれ。