活き活きとした信仰

「活き活きとした信仰」
 (三宝法典 第二部 第六十項 王子と法義説)『小次郎、破れたり』と武蔵が釘をさした一節を思い出す。こんな比較をしてはお釈かさまに対して申し訳ないが、ここの所を拝読するたびに、いかにも信仰が活き活きとしたものであった事を、強く思わせられるのである。金ピカの仏像を自分なりの感傷で、有難がって拝観すると云った、鑑賞だが信仰だが分からないような世界と、一線を画した、真の活信仰がここでは強く感じられる。
 ブッダ釈尊はシヤモンと呼ばれていた。これは出家遊行者、古来からの宗教形態を脱し、全く自由に、自己を主体にして旅をする宗教者たちの事である。釈尊はそうした一群の中で特出して居られた。
だが同時に如来(真理から来た人)とも称せられている。このお経で面白いのは、アバヤ(無畏)王子が幼児を膝にしながら釈尊と対話している事である。それは充分な尊敬を持つと同時に親しみを持っている事の現われであると云えよう。お経を上げに来たお坊さんがお茶も飲まずに先を急ぐといった、職業形態とはまるで違う。ともかく釈尊やそのお弟子たちが、忙がしくされるといった事は想像も出来ない。それでも沢山の弟子信者を正導しておられる。それは何故だろうか。簡単に云えば金がかからないと云う事である。野宿や空き小屋での寝起き、日に一食、特定の祭り行事もなしというのだから、まさに無一物で生きておられたので、本来無一物などとタテ前を云々する必要もなかったのである。
 釈尊仏教が何故、活き活きとしたものであったのだろうか。それは『人間対話』であると私は考える。このアバヤ王子は難問に対してどんな反応を、この高名な宗教者は示すであろうかと大きな興味を持って対話する。それは絶対仏にひれ伏すといった権威的な信仰ではない。日本のように長い間、権威主義を当然のこととしてきた所ではいかにも秩序整然であるが、対話的な活性を望むことは難事中の難事であろう。建物的な荘厳さで人々を威圧するのをハロー信仰と云う。後光信仰の事だ。釈尊はしばしば林の中で対話をされる。
 建物的な舞台装置を一切使われない。自分一個で、すべての人に相い対しておられる。もっと厳密に云えば、自分で自己に対しておられたのである。これ程俊厳な事はない。
対話というものは、ある程度の対等性を持つ所に成立する。全くの上下間では、お説拝聴とお説教はあるがまず対話は形をなさない。そうした所に活き活きとした信仰が生じるであろうか。
 活きた宗教というものはその教者によるものではない。それを学ぶ者、信受する者が活き活きするかどうかによるものである。つまり信受者に出番があるかどうかだ。ここを考えると、日本式絶対仏は絶対だから一人働き、信者の出番がほとんどない。
 さて釈尊仏教における『人間対話』とは何か。その中心は「人間いかにあるべきか」という事である。それは真理を中心にする事がら出てくるものである。単なる道徳論でもない。福祉幸福論でもない。時代に左右されて、かつては善とされていたものが、今はまずいといった変転しやすいものではない。幸福といって、欲望を肥大させてとどまる所がないといったものでもない。
 釈尊仏教における真理とは「一切は縁起する」というすじ道である。これは地球上のどこにでも、またどんな時代でも通用するすじ道である。しかもこれは教えられれば小学生でも分かる実に分かり易い理法である。この分かるという時に、それを活用する事が出来
る。分からねば使いようもない。この分かる事、使える事、これが釈尊仏教の特長である。不思議な世界とはまるで違う。
 この王子と釈尊の問答対話でも、分かる事で進められている。よく分らないが何やら有難いという、宗教感覚は今はほとんど無くなっている。釈尊仏教がかつて何故活き活きとしていたのだろうか。
 縁起という分かり易い真理、容易にその生き方に応用出来るという事、これが真の理由であろう。従って今日でも、これからの日本でも心ある人々を活性化させるものであるに違いない。
(三宝 162号) 田辺聖恵