釈尊の聖言 「衆生の不利不幸」

  釈尊の聖言 
 ビクらよ、名のあらわれたるビクは三つの法によりて多くの衆生の不利不幸となる。
三つの法とは、他をして法にかなわざる身口意の三業をなさしむることなり。
 「衆生の不利不幸」
 仏教者にとってこれは又、何ときつい言葉であろうか。仏教者は衆生、人々の利益、幸福となるような修道・生活・正導をしなければならない。仏像を磨き上げて観光料にむらがる様なコトは仏像業者のする事業であって、およそ仏教者のする事ではない。
 あの巨大仏以来、次第々々に仏像が小さくなってきたのは何故か。権力者の財力誇示から、真の仏教へと、衆団宗教から個人宗教へと、一歩々々仏教の本質に近づいてきている事を示していると考えられよう。      
 ビクという正伝の仏教者は何によって自己評価するか。已に縁のある仏縁者がどの様に法をめざし、法にかなった生活行動をしているか、によってである。今日、仏教者が大衆にどの様な影響を与えているか、あるいは与えていないか、という事がまるで話題にならないという事は、これは日本的精神正常からぎているのか異常なのか。これを検討するのは心理学者なのだろうか。仏教者のハシクレとして驚きかつ申し訳ない事と恐縮する次第。