釈尊の聖言 「森に住す」

 釈尊の聖言 
 われは二つの理由にて今曰も森に住むなり。一つはみずからの現在の生活の安らぎのためにして、一つは未来の衆生をあわれみ。手本を示さんがためなり。 
 「森に住す」
 森に住むとは一種の野宿である。インドの暑いい所だから可能ではあるが、信者の家とか特定の寺院などに定住しないという事である。また森とは村の近くという事で、人々に遠く離れて山かにこもるという事でもない。托鉢にも行ける、信者が法を聞きに行けるという距離にあるという事だ。かつての中国のように王権力から離れ、山に寺を建てて自給自足するといった方式ではない。大衆からまるきり離れれば独善孤高、大衆とは関わりのない隠居になってしまう。
 釈尊の仏教は大衆からつかず離れず、しかも最低生活をする事で、信者への迎合などをしない、親切な正導が出来たのである。信者との交流互恵をぬいては真の仏教とはならない。しかしその基本において仏教者の生活が最低的でなければ、そこにおいての人間究極を体現する事は難しい。その仏教者の基本を釈尊は自ら実行し、手本として示された事は重大だ。