釈尊の聖言 「衆生の幸福の為に」

 釈尊の聖言 
 多くの衆生の利益と幸福の為に、人天へのあわれみの故にわれは出現したるなり。われは勤めはげみ、大胆にして正念に何ものにも惑わさるることなく、肉体はのびやかに、静かに心は一つの境地に集中し、愛欲をはなれ悪を去り、第一第二ないし第四の禅定に入り、その柔らかく調えられ、静かにしてゆるぎなき心にて、宿命を知り、煩悩のつきたるを知り、無明破れて明を生じ、闇去りて光り現われたるなり。
 「衆生の幸福の為に」
 ブッダ・如来は人々と神々をあわれみ、かくあるべきであるという、明確な境地を正導せんがために世に、出現せられたのである。それは到達不可能な不思議な世界ではない。ブッダになられた釈尊はその体験を語られる。
 もし真剣に取組むなら誰にでも開かれた道である。しかしまず信順の心がなければ、とてもやってみる気にはならぬであろう。それは有名になって尊敬される事でもないし、生活が安定してくる事でもない。何の道でも質の高いものは大衆に迎合するものではない。従って大衆の理解や支持も得がたい。
 特に日本の様に宗教者への尊敬が低下してしまった所では、とても修道などは出来そうもない。そこでブッダ釈尊は何をどの様にして悟られたかを、ひたすらに追慕の思いで学習せねばなるまい。そこから見えてくる光りを明確にとらえる、そこに道も開けるはず。