原始仏教講座 第六講(最終講) その二

第六講 その二
 もし遺伝子の中に生きたいという欲求がなければ、その遺伝子はもう続かないはずです。生物の世界見ると、やはり強いのが生き残っているでしょう。ライオンがたてがみがある、あれは何のためか知らなかったが、オスのライオンたてがみあるでしょう、あれ何のためあるんでしょう。あれはオス同士が俺の方が強いぞという、たてがみはあれは大きく見せるということです。鶏でも羽広げるでしょう。自分の体を大きく見せる。動物の世界において、大体大きいのが力を現わすわけです。だから大きく見せよう、大きく見せようとするわけです。ライオンも大きく見せようとしてたけがみがある。それは兎なんかに大きく見せる必要ないんです。兎や縞馬には大きく見せる必要ない。ライオンのオス同士において、自分が大きく見せる方が強いわけです、その強い方がメスを獲得する。そそして強い方のオスの種族が子孫が残っていくわけです。だから強くなろう強くなろうとするわけです。で強いものが大体生き残ってきたというわけです。
 人間も強くなろう強くなろうとするわけです。オリンピックも百メートルを何秒で走っても、どういうことだろうかと思うけれども、矢張り強くなりたいんですね。強くなりたい偉くなりたいという、
 これも矢張り生物性動物性からきているんでしょう。そういうのが仏教的にも煩悩なんです。強くあると強さを頼る、従来の宗教は強さ、神様の信仰するというのは、神様は人間を超越した大きな力を持っているという、力の象徴として神様を拝むわけでしょう。デリケートな、文学的な神様を拝むわけではないでしょう。だから神様みんな力なんです。