原始仏教講座 第六講(最終講) その一

第六講 その一
 四弘誓願 これは誓いです、これは仏様の誓いではない。お経ではなくて中国で偉い坊さんが仏教精神をまとめられたとなっているわけです。ですから、一般信者さんの願いではないんですが、信者さんにしても宗教活動に目覚めた人もいるわけですから、そういう人も含めた所でのことでしょう。
 四弘誓願というのは、四つの、弘というのは広い、誓願はちかい、ねがいです。重大なる決意を表すわけです。衆生いかに多くとも、誓ってわれら導かん。衆生が、衆生とは人々です、衆生がいかに沢山あってもです、自分はそれらの人を正しく導きたいという、誓い、願い。
 煩悩いかに根強くも、誓ってわれら断ちきらん。私自身においても煩悩というものはなかなか根深いものである、いつ死んでもいいなんて言っているけれども、本当はやはり死ぬのは怖れるというようなのがやはり煩悩、根深さです。
 それは生命としては、生きるようになっているわけです。客観的に言えば死ぬわけです。あなたも死ぬ、私も死ぬ。ところが、子供を作って子孫を作っていくというのは、さっきのDNAの話ではないが遺伝子を継続させるということです。遺伝子が継続していくということは、遺伝子は死んでないということです。だから死んでない。少なくとも私に成ってくるまで、私以前において、私の遺伝子は死んでいなかった。私から先は私の遺伝子は一応なくなるということがあるかもしれないが、私まではずっと生き継いできたということですから、遺伝子的に言えば死なないわけです。地球が亡びれば別ですけれど。ですから死ぬ存在ではないが、遺伝子的に言えば死ぬ存在ではないが、人間的に見れば一応私というのは死ぬわけです。
 だからそうすると死にたくないということ、死にたくないということは生きたいということ、生きたいという欲求があるから遺伝子が続いていくわけです。