釈尊の聖言 「自我の三種」

  釈尊の聖言 
 一つには四大より作られたる自我、二には手足をすべて具えたる心よりなる自我、三には物質はなく、純粋なる想念のみにてなれる自我なり。われはこの三種の自我を離るる法を説く。
 おんみがもしこの法に従いて道を修むるなれば汚れを離れ清められ、この現在に智慧の充実と発展とを得るならん。そこには苦悩なく、歓喜と幸福と平和とあり、正心正念に安らぎて住し得るなり。
  「自我の三種」
 自我とは霊魂(永久不変の本体)のことで、釈尊以前のヒンズーはこの霊を信じ、どこに生まれ変わるかを最大の関心事とした。釈尊はその様な考え方信じ方に固執するものに、真の安定はないとされた。肉体性を持つ霊、或いは持たなくなったにしても、周囲(縁)の影響を受けるから必ず変化するとされた。これを現代的に解釈すれば、深層意識的なものであるが常に変化するものと云う事だ。
 従ってその様に変化する霊的なもの(自己主体)を当てにしても真の安定はない。どこに生まれ変わるかで、安定するのではなく、その様なことを問題にしないで、真の自己として価値のある生き方を全うする事が、自己の解決であり、喜びであるとされた。霊的なものを無視する事ではなく、正当な解釈を学び、そしてそうした事を卒業し、本当にやらねばならぬ事に打ち込めと云う事である。ただ単に安楽を求める様なものではない。