原始仏教講座 第五講 その十七

第五講 その十七
 ですから宗教活動を目覚めた人はしなければならないわけですが、その為にはまず基本に戻らなければならない。まずほとけとは何か、真理とは何か、そして宗教活動するサンガ、宗教者の集団とは何かという、この三宝をまず明らかにして、そして自らそれを学習しながら、自ら体験をし、それを日常生活に生活化し、そしてそれを人々にいくらかでも正導、正しく導いていく、宗教活動をするというこの四つのプロセスが必要になるということです。
 これで後に説かれたお経、法華経、あるいは阿弥陀経阿弥陀さんの話ですね、これ両方とも宗教活動せよということなんですね。仏になるということは、仏様は宗教活動なさる方である、だから私達も宗教活動する、そういう風にならなければならないという話なんですね。救うて頂く、ああ有難い、ただ救われ放しというなのでは、それはもう自我中心、自分の欲望本位を言っているにすぎないわけですから、あまり仏教でもないんですね。入り口としてならいいんです。真髄ではないわけです。
 それで南無阿弥陀仏の話も南無妙法蓮華経の話も禅の話も、その中で全部一応含まっていくということです。密教においても、即身成仏も同じことになるわけです。それで原始仏教と日本の後から出来た仏教とのつながりが一応あるものとして、仏教を考えてきたわけですね。