原始仏教講座 第五講 その十六

第五講 その十六

 お浄土に行って蓮のお寺の上で何とかとかいうような文学的表現ではとても現わせないものなんですね。そこで真宗でも往相即還相となっていると。お浄土に行くということを通してそれが本来の宗教活動にならなければいけないというわけです。お浄土に行って昼寝しているというような話がお浄土の話ではないんだよ、ということなんです。
 ところがそこの所をなかなか受け取る方が、受け取れないんです。お浄土に行く、ああ有難いとこうなってしまう。で極楽浄土とこうなる。そういう絵がありますからね。ああいう世界をイメージしてしまうわけです。それは象徴であって、ああいう極楽の絵をそれは象徴として本来の仏教精神に目覚めよと、そして宗教活動をせよ、宗教生活をせよということなのが、往相即還相、往相とはお浄土の世界に行くということ。行ったら還相というのはこの世に帰って来ると、皆の大衆の人々の世界に戻って来る。戻って来るということは宗教活動するということです。ということが本来の浄土真宗の親鸞さんの言われる教えなんですね。ところがお浄土行きっ放しのように受け取る方が受け取ってしまう。というのが問題なんです。なぜかと言うと、そういう話がいくらあっても坊さん自身が身を持って宗教活動をしていなければ、単なる話にしかならないでしょう。だからお手本がないから間違いやすいということなんですね。
 これがお釈迦様がこういう風にいつも思っておられる。ようするに仏様に皆、あなた方も私と同じように仏様になるように自分はいつも願っているんだということは、宗教活動する存在になりなさい、と願っているということなんです。それが法華経の精神ですね。