釈尊の聖言 「恋人を知らず」

 釈尊の聖言
 自我なる霊魂は、死後この肉体をはなれて、病いなく幸福になると云うは、恋を語りて恋人を知らず、梯子を作りて、のぼる所を知らざるかごとし。
 「恋人を知らず」
 単なる伝説や請け売りで、自分の安心を決めてはならないと釈尊は教えられる。人間の究極として考えられる魂が、一体どのようなものであるか。それがハッキリし、又自分が納得のゆくもので無いならば、どうして、それならばこの様に生きようと明確な線が出てくるだろうか。
 宗教者で釈尊ほど実証によるものでないものを排除した方は他に例を見ない。
 日本人はあまり究極意識が強くないから、この釈尊仏教の特質は特質として捉えられる事が少ない。恋人そのもの知らずに恋を語る、どうなるかも考えずに宇宙に行きたがる、何と昔も今も変らないあいまいさではないか。釈尊こそ今で、核戦争におびえる事こそ昔とせねばならぬ所ではないか。実証的宗教を導入するには今しかない。子等の生命力が衰微し始めている事は大人社会の反映とせねばならない。生きる事の根拠を明らかにせねばならぬ時がきた。まず静思せよ。