信者の道は施

  「信者の道は施」
   施と戒の結びつき
 日本の仏教では、どうも信者の道が分らない。それは法華経やハンニャ経など、「絶対・徹底」の境地を説かれたお経を主にするからである。前者は実相を説き後者は空を説く。それを求める事は大いに結構だが、生活者としての道が説かれていないから、生活と切り離して観念的に知識として受け取ったり、空無我の境地でホームランをかっとばす、と云った話になってしまう。本来の空や実相は、そうした作意的な生活の無意味さに気付き、人間としての本質に目覚めるという事なのであるが、この頃は、この俗受けのニセ仏教が ハバを利かして、本物はかすんでしまっている。
 仏教信者の道、あり方を明らかにする為には、原始経典によらねばならない。又この信者の道が分らなければ、それを土台にした、そしてそれを超えた聖なる者の道が出てくるわけがない。
 例えば、説者が絶対を説き、信者がこの絶対を受け取るとする。絶対はそれ以上でも以下でも無い。従ってどの様に食べ、どの様に寝るかといった話が出てこない。つまりそれでは説者は生活のしようがない。給料取りになるか、葬礼専門にでもならざるを得ない。
 釈尊やそのお弟子たちは、托鉢乞食を建前として、時には供養のご招待に応じられた。つまり信者の施を受けられたのである。信者としては、托鉢に来られた時、喜んで食物を奉ったのである。それは尊敬と感謝を現わす心による。み仏とされる理想の指導者である釈尊に対しては、それが当り前になされたとしても、弟子の人々がなぜ尊敬されたのであろうか。
 修道者として戒律を守れば、形として現れる。その形を通して信者は、そのマジメさを知る、それが尊敬につながる。その修道者が深い教理や、徹底の境地をつかんでいるかどうかは、信者としてはあまり問題ではないのである。世俗の欲望生活を捨て、野宿をしながら道を求める人を、自分と引き較べれば、無条件の尊敬心が出てくる。また、かねてから教えられている事がある。
 施しをすれば、施した者に幸せがかえってくる。その施しの行いの機会を与えて下さった、その事に感謝をする事が教えられている。
 そこで修道者の衣服、日常着(これ以外は持つ事を禁じられている)−これを、あるいはこれを着ている人を「福田」プンニャ・ケッタと云う。これは施こしを受ける側に都合よく話が作られていると考える人も多いであろう。なにしろ、日本では働いた分以外は受けない、施こしを受けるのは恥である、という封建思想を何百年も受けてきているから、施こす習慣がもともと無いのである。いわゆる乞食に恵む、つまりアワレミからする位しか知らない。従ってそれは軽蔑とだき合わせ、困ったものだ、もっと一生懸命働けよ、というお説教をこめて施こす。これでは受取る方も、今に見ていろとどちらも感謝どころではない。それは『信施』ではない。
先日、南方で信者たちが次々と来る修道者に施こすテレビを見た。順番をお互いに変えることは出来ない。施こす方はやはり高徳の方に施こしたい、という表情がアリアリと見える。同じ施こしにしても、より高徳な人にした方が、より効果が大きい、ということは、かねて説かれる事である。
 日本では、修道者に施こすという事がないので、建造物を建てたり修理したりする時に施こすようになっている。新興宗教はこの心理を利用する。それで次々と何かを建て金を集め、その何%がどこかに吸収されてゆく。出した方は、オレが出したんだというわが物意識が満足させて貰える。従って一部の金がどうなったかなどには関心を持たない。まさにこれは物信仰で、宗教ではない。
 お寺を建て直したりすると、中興の祖といった具合に評価される。もともと日本の寺というものは、天皇が政治を祈らせるために建てたという所から始まっており、後には殿様が政治権力の背景に建てたものが多い。従ってそういう政治の社会から出家したはずの宗教界が、実は最も濃厚にそれと結びついていたのだから、一人々々のそれこそ名もなき信者などは眼中になかったのである。
 鎌倉時代にすぐれた祖師方が一人々々と結びつく道を開いたが、それも徳川時代になると、もれなく幕府に管理され、自らも大衆を管理する立場になってしまったのである。得米が上納されるから、微細々信者の施など全く問題にする必要がない。従って信者の前に立って自ら戒律を守っているという姿さえ、つくろう必要すらなかったのである。
 これでは信者も育たないが、修道者も育たない。僧侶の階級をのぼることに生き甲斐を見出すといった、会社人間とまるで変らない、信者ぬきの俗社会が作られてゆく。
   業報論は仏教の基本
 施こせば善い報いが来る−というのは、信者をダマしている様に響かぬものでもない。神仏はおサイ銭の多少に関わらず救い守って下さるはずだと、考えられるからである。しかし釈尊は神仏が守るぞよなどとは云っておられない。この経典(世尊の温浴)にある様に、仏様である釈尊は晩年には時に、背中の痛風をたえられたのである。これは日本仏教を聞きつけた人には、とてものみこめない事であろう。おシャカ様は人間であったが、外の仏様は違うと。
 しかしこゝではそこに深入りをしない。釈尊は業報論を説かれた方である。「善い事をすれば善い報い−悪い事をすれば悪い報い』従って信施・善施には必らずその報いがあるのである。これは実際にやってみれば、誰でも証明出来ることである。商売にしても、取引に善意を上のせすれば、お客は喜び、次のお客になる。
 修道者は法を施こし−信者は財物を施こす・・・互恵真理の実践 
 信者に施の道を教え導くということは、その先に自ら、法の道を実践する事によって、法施をする事である。托鉢をすることで、信者の前に立つということは、法の実践をする事である。すべての人に平等に施こしの機会を与える、という事が法の実践の第一なのである。それは法理論などを聞くまでに至らない人にも、法縁を与えるということになる。勿論そのためには。、真剣に修道をしているという実績が無ければならない。寺建物とか仏像とかの為でなく、自らが施を受けるのであるから、たとえ一食の施でも、いい加減に暮らしていて受けられるものではない。
 お経を上げて貰うからおサイ銭を上げる、という事が多いが、これは労働報酬だから本当は施ではない。その僧侶の修道と関わりが無いから。また有難い法話を聞いたからとしておサイ銭を包む人があるが、これも本当の信施ではない。まず業報を願って施し、やがて業報を願わずしてたゞ施が出来る様になりたいものである。
   仏さまが病む
 仏教とは、肉体を持った人間が、その人間としての在り方、いかに『生きるべきか』を追求してゆくものである。幸せを求めても良い。それが一般の信者である。しかし業報をぬきにして、不思議な力を求めても、結局はそれが一時的な気安めにしかすぎない、という事にだんだん気付いてゆかねばならない。
 真理を悟られ、内面的には一切の問題を解決して居られる釈尊でも、肉体がある以上、時には肉体上の病いもなされる。これが単なる観念上の問題ではないのが仏教だという事を、示す。逆に考えれば、肉体という限界をもっているからこそ、悟りの世界に入る事が出来るという、そういう可能性をすべての人間が持っている事を証明して貰っていると考えてよい。
 仏教とは決して超能力者になるという事ではない。誰でもなれる道なのである。人間が人間としての苦悩一切を解決し、その生死にふリ廻わされず、真理のまゝに生きられる様になる−これが仏教
 背の痛みを温湯浴で直された釈尊、それは生理に合致した処理−でもある。特別な超能力を使われるのでもない。誰でもがなし得る道、それは当り前の道である。人々はとかく超能力を求め、特別のご利益を求めるのは、今日でも多々ある事。ところが二千五百年も前に、真理を中心にして自ら生き、人々にそれを教えて、一生旅を続けられた方が居たのである。それはまさに驚異と云わざるを得ない。そしてその弟子となった多くの人々、それらを善施によって支持していた人々があまた居られたという事は、今日者としてまさに敬服以外にないとでも云うべきであろうか。

三宝 第116号 1983年5月8日刊 田辺聖恵