原始仏教講座 第四講 その十六

第四講 その十六

ところが、人間というものをまあ概念的というか、哲学的に見れば、最後は死ぬんですね。死ぬということは、逆算して、死ぬ存在であるが、それでいいかどうか、ということなんです。儲けたの損したの、美味いもの食ったの、どこ行ったのという、言ったって結局死ぬんだというわけです。そう言われると話は終いですよということになるんです。確かに話は終いなんです。そういうわけで、死ぬということを忘れて、気付かないでおります。だが必ずある。ということをはっきり知りなさいというわけ。これは一応生理的なものと言えますね。年を取り、病気をし、死ぬというのは生理的なものである。それから感情的、精神的なものとして、怨み憎むものに行き会うのは苦しみである、確かに嫌いな者にバッタリ会うと、顔をそむけて、はっきりそむけるわけにもいかないし、挨拶はしたくないという妙な時があるでしょう。そういうことを言っておられる。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ