仏教の素因

「仏教の素因」
 偉大なる人の伝記というものは、たいがい、いろいろな超人性をつけ加えられ、紛飾されることが多い。ましてや信仰の対象ともなるブッダ釈尊においては、どの様に神秘化されるか分らないという所である。実際、釈尊の伝記について二通りがある。北伝においては超人性が大いに加えられている。そしてさらに法は永遠であるという発想のもとに、その法を悟ったシャカ仏も永遠の存在であるという表現をしているのが妙法蓮華経である。
 日本において仏教に縁があるという場合、この法華経によるか−(実際はお題目を本尊とするから、華果同時といった、法と覚りの同時性といった高度な哲学が信者に指導されることはない)または一切を救うという絶対のアミダ仏によるか−(実際は自己投入が強調され、アミダ仏の本質が法と一体であるということもなかなか指導されない)または座禅をしてみる−(実際には中国の禅者の言行による指導が主となる)などなどであるから、いずれも仏教の開祖である釈尊についてほとんどふれられない。
 こうした情況のもとに何百年もの仏教歴史がつみ重ねられてきたのが日本である。中国・韓国においても同じであった。さて突然であるが、百年前から、南伝の仏教が研究され、日本の仏教学者の努力によって、原始仏教として明らかにされてきた。これは釈尊の直接の言行をその大部分をもって伝えているものである。右に掲げた一経がその一例であり、特に釈尊が自分の幼少年期を振りかえり、どのようにして、求道をしていったかを、体験として述べられたのである。このように明確にされた偉大なる人の生育歴を見聞出来るということは、実に珍らしいことであり、後続の者にとってまことに有難いことである。しかるに、日本の仏教界で、こうした点が取り上げられることは、今日に至ってもまずほとんどない。その理由についてはこゝでふれない。                 
 この釈尊の回想(三宝聖典 第一部 第四十項 世尊の幼時)によると、釈尊が王子として生まれ、小さい国ながらもその国の王位を継ぐはずの太子であったことが明らかである。親やまわりの人々から大事にされていたということと、家系的にエリートということは知的であったと察せられる。
 肉体的にあまり丈夫でなかったということは、多分に内向性であったに違いない。それで、産みの親が早く死に、幼少期から身近な者の死ということに関心を持たざるを得ないようになるはず。その自己の体験から、一般の人は、その死またそれに至る老と病について、なぜそれを苦としないのか、またそうした人間の限界について疑問を持たないのだろうか、と思うようになる。
 頑健でなく内向的な少年にとって、若さと健康は、一種のおごり心、慢心とうつるのである。一度こうした、人間の本質に関わる疑問を持ち始めると、どのような父のはからいによる歓楽も心を満たすものとならないし、また他に求めても知的究明、結論は得難い。
 多くの人は、死という限界について目をそらそうとするものであるし、それをかりに苦と感じるならば、何か偉大な力によってその難関を突破し、永遠に生きられるという永生思想を持つことによって決着をつけ満足する。釈尊もバラモン教の神の救いを当然学んで居られたのであろうが、そこで満足するとにいうことにならなかったのであろう。現代流に云えば、かりに永遠に生きた所で、それがどれほどの価値、どれほどの満足をもたらすのか−ということ。
 こうして人生の意味につき当られたのに違いない。
 釈尊の生育史において特徴的なことの一つは、静思瞑想をよくしたということである。小鳥が虫をついばむというのを見た位で、誰でもが、それから直ちに瞑想に入ったりすることはない。これはかねてから、瞑想をしばしばやって居られたからに違いない。それは内向的であるということからきているのであろう。
 静思瞑想ということは、同時に精神集中をするということでもある。老病死という人間の限界を考えるとなれば、当然、そうした限界を持つ生とは何か、一体人間は何の為に生きるのかーという問題がたゞその一点にしぼられてくる。その一点に集中する。瞑想する
から集中する〜集中するから瞑想が出来る。瞑想と集中は必らずしも同じものではないが、つねに一致してくるから別々とも云いきれない。二にして一つ、と云ってよかろう。
 この静思瞑想をジェーナと云う。それはたゞ単に無念無想の境地になるということではない。人間とは何か、生きるということはどういう意味があるのか〜というたゞ一点の問題意識を持って、その問題を解くために静思瞑想するのである。それは現代人がやる、表
面理性を使って考えるということではない。
 現代人がこうした瞑想がしにくくなったのは、学校教育においてあることを記憶し(本当はよく理解されてでなければならないが)それを引き出し引き出しして考えるということを、十年以上もさせるから。もし瞑想でもしようものなら、それは空想だとしてたちまち抑制されてしまう。瞑想能力は育たなにいどころか、根絶やしにさせられてしまう。これが日本人の創造力の不足という形となって現われている。その穴ウメに今、老子の本が流行しているが、瞑想のカスを読んだところで、自ら瞑想しない限り、瞑想能力がついてくるものではない。日本人にとってはそれはこれからのものである。
 静思瞑想ということは、考えるでもなく、考えないでもない〜という、無限界的な思考である。今日風に云えば、深層意識的思考である。深層意識は心理学的にもまだ充分に解明はされていないが、右脳、左脳といった点ではかなりのことが知られるようになった。しかし心理学は、科学であろうとするために、アイマイともとれる深層意識の発現をあまり問題にはしない。出来ないというより、おそれているというのが本当であろう。
 深層意識というのは、多分に生命としての原初性をもってにいる。従って、表面意識、左脳で考えられ、作られた文化文明に対して、多分に反逆的である。そこで、クサイものにはフタ式でふれまいとする。しかし、人間は生命として、生命の原初性、生命の本質を持っていることは、いかなる文明人でも拒否できない事実である。その原点から思考するのが瞑想であるから、人間としての本質思考と云わねばならない。釈尊の仏教とはこゝから出てくるのである。
 釈尊は旧来の思想信仰でなぜ満足出来なかったのか。それは自らいわば、いのちの根源、生命の本質から出てくる、その生命の本質そのものへの疑問、いのちの叫びとなって噴き出してきたものなのである。旧来の道徳、人間の不平等を土台にした社会体制、或いは知的合理性と関わりのない神々の信仰、それらのものでは到底、満足できることではなかった。
 生命欲求と知恵欲求という二つにして一つのものが、満足する回答でない限り、釈尊は満足安定することは出来なかった。そしてその答までに六年以上の求道期間を持たねばならなかった。
 そしてこの深層欲求に対して自らの深層意識が真理をつかまえることによって答えられたのである。その将来を予測せしめるのを、釈尊ご自身の幼少生育史の中で明らかに知ることが出来る。こゝに『仏教の素因』があることで、仏教の理解が正確になされ得るのであるからまことに有難いことである。合掌

三宝 第110号 1982年11月8日刊 田辺聖恵

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