まことの生き方

まことの生き方

若者が何故出家求道したか
 釈尊当時では、バラモンの神主さんのところに住み込み、学習にゆき、十九才ごろそれがすんで家に帰り、妻をめとり、家の仕事をし、しばらくして、家のあとつぎをし、家長となる習慣であった。しかしこれも、貧しい家庭の子息が、はたして住み込みの学習にいったかどうか、経典では明らかではない。察するに中流以上の家庭でのことと考えるべきではなかろうか。
 バラモン教とは、創造神を中心とした神々への信仰を習うものである。それは各人の本体としてある不変の霊魂を信ずるものである。その霊魂は、はてしなく輪廻(サンサーラ)するとなっている。ガキ(餓鬼)になったり、畜生(動物)に生まれ変ったりをはてしなく繰り返すのである。インドの摂氏四十度を越すような暑い所に何度も何度も生まれ変ってきて、しかも人間になるとは限らないというのであれば、まさに堪えがたい苦しみである。これは死の苦しみでなく死後の苦しみである。一部の大金持ち以外はこのような死生観というか死後観を持つようになるのは環境上当然であろう。
 若者は、もともと生を旺歌するものでも心が、バラモン教によってこの輪廻観を強くうえつけられるならば、単純に生を喜んではいられなくなる。それで結婚後も、いかにしてこの輪廻から逃れられるか、といういわば人間としての根本問題をかかえて暮らすことになる。今目でもインド人は仕事の能率をあげ、経済的に豊かになることよりも、霊的にいかに救われるかという方に強い関心を持つと云われる。
 バラモン教は、神の霊と一体になることによってこの輪廻から脱し、救われるという答を出す。ただ神を信ずるだけでは、そこに合理性が感じられない。そこでいろいろな方法が考え出される。神を祭る、善根を施こし、功徳をつむ、出家して禅思(精神統一による神との一体化)難行苦行等々。
 もともとインド人は合理性を尊ぶ。それはアーリヤ人としてインドに侵入し、土着人を征服した民族が主なのであるが、彼らは放牧というか騎馬民族であったから、合理性を持つようにならざるを得なかった。侵入後は農耕民族化したが、中級以上であれば、合理性の気質がよみがえってくるのは当然かもしれない。こうして合理性に目覚めると創造神の理解が困難となってくるから、バラモン教そのものでは満足しきれなくなってくる。こうした下地が出てきている所に、釈尊が出現せられ、創造神の否定という大英断を下したのだから、そのもとへ走って教えを受けようとする心は熱烈に燃え上ったに違いない。             
 それは仕事の楽しさ、妻への愛情などをはるかに超えたいわば絶対感への求めと喜びであったのである。出家してやがて覚りを得た仏弟子が、家に帰り導こうとしたが、親は財宝を積んで見せ、またかっての若妻だったものに飾らせて愛欲で心をひこうとしたが、もうそういうものに何ら愛着はないと立去る話がある。
 何故、若くしていとしいはずの妻を捨て、豊かな生活の家庭を離れてまで覚りを求めたのであろうか。現代の日本人には到底理解できないことではなかろうか。本来の仏教では、出家の上でしか覚りは得られないということも、今の日本人では理解し難いことであろう。
宗教的土壌の違い
 仏教では、三法印ないし四法印が説かれる。その中に一切皆苦というのがある。バラモン教においては、死後再生して、ガキ、畜生になるということが、死の苦しみの中に入っている。釈尊は、むしろこうした死後再生なども含めた苦しみの根源は、この「生」その
ものにあると考えられたようである。では生そのものの苦から逃れるなら、死の世界に逃避すればよいのであるが、死は生の別物でもなく、死後が完全に、なくなるものでもないから、死にさえすればいいということにはならない。そこで生の苦をのりこえるためには、死後の苦をのりこえねばならないということになる。かりに死後、天に生まれ、もろもろの神になったところで、それも一種の輪廻で、その神になるだけの功徳(善いことをする)の種(果い)が切れたら又、何に生まれ変るか分らないという不安があるのだから、それは本当の自己解決にはならない、というのである。そこでいかなる形ででも再び生まれ変らないという境地をつかまねば何にもならない、というのが釈尊の教えである。
 日本では浄土教(浄土門)がかなり普及しているから、それでは浄土往生を否定することではないか、そんならそんな話を聞にいても仕様がない、と早やのみこみされる方があるかも知れない。親らん聖人もそこを案じて「楽になる世界へゆくのが往生ではないぞ」と念をおしておられる。浄土とはネハン(ニバーナ−覚り)の世界だから。生と死をこえた世界なのである。つまり楽でも苦でもない、苦楽をこえるというか、問題としない境地である。では何を問題にするのかというと。人間の本質、真理を了得することである。
 仏さまが救うて下さる、というだけなら神さまが救うて下さるという神様信仰と何ら変ることがない。仏教である以上、仏さまが救うということは、仏教的覚り、真理了得の境地に入らせるということである。従って浄土の世界というものを、このニバーナという点において明確にしないと、とかく苦のない、楽の世界と勝手に解釈してしまう。
 日本人が今日何故、世界で類を見ない経済繁栄をしているのか。それは、経済的合理性を労使共々、仲良く追求する体質があるからである。経済的合理性とは、物をより便利なものとし、より安く、誰にでも入手しやすくするということである。つまり物的欲望をより多く満たすことをさす。こういうふうに割り切れば、それだけでは精神生活が少なすぎるではないかとすぐ気がつくのであるが、日本人には何事にも一心不乱、心をうちこんでやることを美徳(精神性)とする勤勉主義がある。この勤勉主義を良しとする気風と物質欲望主義がまじり合っているために、精神性が不足しているということにあまり気づかない。それが宗教に対してあまり尊敬を払わないという、いやそれどころか、宗教者を冷やかすというまことにごう慢な心を作りあげている。そのために、本物の宗教者が育たない。
大衆受けのする宗教家だけが、マスコミなどにのったりする。これは書店の本棚で宗教欄を見ると、その傾向をはっきり読みとることが出来る。
 こうした宗教軽視の土壌が出来るのは、自然環境が温暖であるために、雪月花といった自然への風雅で心を満たすことが出来るということと、死後を恐れる心がほとんどないということによるのであろう。今日でも、ポックリ死にたい、というのが流行で死後を考えるということはあまりない。生と死があるだけで死後がぬけているから真の仏教を求める下地が少ないのである。
大乗仏教はなぜ下化衆生か
 紀元元年前後に出来た大乗仏教(菩薩仏教)は、下化衆生(人々を正導する)を強調するのか。ニパーナ・覚りは、人間の本質が縁起性(魂といえども変化してゆく)であることをはっきりと体得することである。死といえども変化であって、苦楽を感じることはすじ違いである。変化とは理、すじみちの理解であるから感情ではない。つまり、私共は理性で考えるべきことを苦楽という感情で受けとろうとするから、どうどうめぐり、はてしない苦悩を続け、さらに楽な生を求めようとする。その求め、願いが原因となって次の生存をもたらす。これが輪廻苦悩であると。従って苦の生(再生)の因、願い求めを捨てれぱ再生しなくなる。苦は滅するのである。そのために、人間の本質を理性的に了解すればよい、というまことに知的、一種のゲームとも云える態度、これが本来の仏教である。
これはよほど理性的条件が、つまり人間的成熟が出来ない限り、到底受け入れられる態度ではない。特に過去の日本人は、自然指向が強かったからである。今日ようやく日本人にも理性尊重が出来つゝあるが、まだまだ集団帰属意識などの実利性によって、自己の主たる内面とはなり得ていない。
 さて、大乗仏教は何故、下化衆生(大衆指導)を強調したか。それは、ニバーナ・覚りを体得すれば自己の迷いを主とし、あるいは人間の本質を理解しようとする求道の生は終了することになる。それではそれでよいのか、という疑問がわいてくる。結局その覚りも一種の人生逃避ではないか。人生の超越にはたして価値があるのだろうか。では釈尊はどうであったか。三十五才で覚られ。迷いと求道の生を終了した釈尊は、正導を宣言し、それから四十五年間、人々を正導してやまないという、人々のためにのみ生きられたのである。
 苦滅・覚り−自己完了、正導−利他無限
 自己の苦悩(死後の再生不安それらによる生の不確立)を解決するということは、人間学習の卒業である。それから他に対して正導を開始することは、人間の本質が、相関性(互恵性)にあるというその真理を自己化し、実践し、真理に合致して生きるということである。この一切が相関、互恵性にあるということを実践するということこそ、価値ある生き方である。それこそ本当のニバーナ・覚りであるとし、それになり切った方が釈尊、仏陀如来である。仏教者はそれをまねして、価値に生きねばならない。仏陀如来の行動を自らの行動とするもの、それはブッダになる前の姿、ボサツである。仏教者はこのボサツ道、正導行をせねばならないと強調したのが小乗ではいけない、原始仏教、釈尊仏教に帰らねばならない、それこそ大乗仏教であるとしたのである。   
 日本では大乗を哲学の深化と受けと名面が多いが、利他正導の道を開いた日本の祖師方はすべて正導に生きた方々である。仏教の初心とは実にそこにある。正導こそ、互恵真理の実践であり、真の「生かし・生かされ」の人生である。生死を超えた価値がそこに現われるのである。
三宝 第101号 1982年2月1日刊  田辺聖恵

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