釈尊の聖言  「八聖道最後の人」

釈尊の聖言

「アーナンダよ、今わが定むる善き伝統は、煩悩を無くし、静けさに導き、ニバーナに入らしむるものなり。
その善き伝統とは何か、すなわち正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の八聖道なり。
アーナンダよ、おんみらこの定められたる善き伝統を継承し、絶やしむるなかれ。その最後の人となるなかれ。」

 「八聖道最後の人」
◎弟子とは、師意の了解・伝承をする者である。釈尊は自ら開発した一連の教説ー『縁起』『四聖諦』『八聖道』をその最も忠実なるアーナンダに伝え、その継承を願った。そこに釈尊の本願があったのである。後期仏教はこれを低級とし、伝承を拒ばみ、インドにおいては絶滅した。その意味において釈尊は嘆きの人と云うべきかも知れない。
◎このように八つの道を示されゝば、器用な日本人はたちまちこれを「たゞ一つ」にとりまとめてしまう。そして今度はそれでは足りないからと儒教との二本建てをはかる。信仰と道徳を分離してしまって、それを純粋と錯覚する。人間としての生活面をぬいてしまって、どうして宗教と云えようか。つねに先走ってきた日本の歴史をこの辺で、じっくり見つめる必要がある。八聖道を知らぬでは、最後の人にすらなることが出来ない。田辺聖恵

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ 人気ブログランキングへ