原始仏教講座 第三講 その九

第三講 その九

現代では少なくとも自分の考えを自分で考えてそれを表現できる人間にならなければ、これからは脱落者とならざるを得ないですね。戦前はもの言わなかったほうがいいんです。なぜか、全部、国家で方針、人間の生きる方針を決めてくれた。忠君愛国、国家のために一命をささげる。親孝行するということが決まっていた。だから自分で考えたらいけない。それはそうだけどもと考えてはいけない。考えないほうが良かった。そういう教育を教育勅語によって子供の時からずーっとやったんです。だから自分でどう生きるかという考えを持たないで済んだんです。全部国家がレールを敷いてくれたから。

敗戦後、自分で考えろというわけです。自分で考えろと言われても、考える材料を提供してもらわないと考え様がない。現代も自分で自分の人生を考えるということがほとんど出来なくなっているわけです。会社の方針にあわせてとか、俺はこの仕事に打込んでいくとか、仕事でものを考える。会社でものを考える。組織、集団、団体で、それに合せるという、自分の考えでない集団の考えにあわせるというのが美徳と思ってきた。

ところが今それがだんだん崩れつつあるわけです。農業でいえば、農林省がみな計画を立ててくれた、畜産振興、さあ赤字、こういうわけです。米作れ、干拓した、今度は減反、干拓した所で何を作るか、農業指導の通りやってさあ赤字だどうしてくれるかというわけです。いかに考えてこなかったかということです。しかし、これからはそれは通用しなくなる。農業であろうが商業であろうが福祉事業であろうが全部自分で考えなければいけないわけです。まさにお釈迦様の教えられた通りに、自分で考えよということです。

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