仏教による幸福への成功方式 #4(第一章業報論  善因善果は絶対だ)

善因善果は絶対だ  
 給料を貰えるのがはっきりしているからあなたは働く、つまり働けば給料が入る。米をまけば米が実り、麦をまけば麦の実り、これを信じないで毎日行動を起こすということはない。世尊はまずこれを信じろと言われました。これが仏教的考え方の基礎です。
 悪因悪果も信じなければなりません。ところが時々私共は変な望みを持ってしまいます。悪い因(たね)をまいておいて善い果(むくい)を得ようとするのです。うそを言って金を儲けるといったことです。このたね(因)はまかねば駄目で、このまくこと、耕し、肥料をやり、草を取りと手助けすることを縁と言います。因+縁=果が本当で縁が働かなければ因だけでは果は出ません。この因縁果の大原則が仏教の入口から出口までずっと通っています。迷信でも不思議でもなく、もっとも合理的でしかも常識で分かって進んで行ける万人の道です。
 ここで一寸説明。世尊とは世の中で最も尊敬される方、主としてこの世に初めて仏教を発表されたおシャカさまをさします。おシャカさまのお弟子は世尊々々と呼びかけましたので、私もそう呼ばせて頂きます。「・・・」は世尊の言葉、お経の文句です。日本語にしてあるのを引用します。漢文は遠慮しています。「・・・」の世尊の言葉にあなたが題を付けて、あなたの心にしっかり刻みつけて下さい。
 因縁果の法則を業報論といいます。略して因縁、あるいは因果応報、縁起(縁によって結果が起きる)などといいますが、因があり、縁(業とは行為)が働いて報いがくるので業報です。因が欲求、縁が行為、果が結果、この関係を、善と悪、正と不正で考えるのが仏教です。さて現在のあなたは善果を得ていますか?それは善因(正善欲求)と善縁(正しい努力)の結果。ところが多くの場合、人は悪果に苦しんでいます。何故か?悪因悪縁のせいです。ではどうしたらよいか。悪因悪縁を根だやしにしてしまえば悪果はなくなります。同時に善因善縁をふやせば必ず善果。こんなに分かりきった話なのですが、いざ信仰の話となると、あっちにお詣りに行き、こっちで願かけと焦るばかりで、腹をすえて何故か?と考えてもみないのです。あなたの悪果は決して神罰でも何かのたたりでもありません。ただあなたとあなたの先祖からのむくいにすぎません。宿命、運命、神々の命令といった私共でどうにも変えられないちゃんと昔から決まっているといったことはないのです。あなたの真の幸福、富と健康、自由と愛情、さらに無限の生命といったものは正しい因と縁によって必ず得られるのです。たとえ医学的に絶対不治の病でも、あなたは幸福をつかむ権利もチャンスも因もあるのです。
 あなたは卑怯者であってはいけない。善果の時は俺の努力からだと威張り、悪果の時は何故こうついていないのだろう、神も仏もあるもんかと、その責任を逃げてはいけない。何もかも自分の責任としょいこんでノイローゼになっても困りますが、自分の幸福をつかむのは自分の責任であるとはっきり承知して下さい。もし不幸ならば仏教を習って幸福への道を進みましょう。もし幸福ならもう一段上の完全なそして永続する幸福を求めましょう。