三宝法典 第二部 第八一項 十戒の法

十戒の法

時にシャカムニ世尊、初めてボダイ樹のもとに坐して、無上の覚りを成しとげ、
初めにボサツの戒を定め、父母、師僧、三宝に孝養し従わしめたまえり。孝養従順なす法は至高の道なり。

世尊、もろもろのボサツに告げたまえり。

「われ今、半月ごとにみずから諸仏の法戒を誦す。おんみら一切の発心なせるボサツも又、誦すべし。これ諸仏の本源、ボサツの根本、大衆、もろもろの仏子の根本なり。このゆえに仏子よ、必ずやこれを受持し、読誦し、善く学ぶべし。もし仏戒を受けんとなす者は、国王、大臣、ビク、ビク尼、諸天神、大衆、畜生なりとも、ただ法師の語を解するのみにて、ことごとく戒を受けたる第一清浄の者と名づくるなり。

ここに十重の戒あり。この戒を誦せざる者はボサツにあらず、仏子にあらず。

仏子もし、みずから殺生し、人をして殺生せしめ、殺生を賛歎せば、殺生の因縁、業をなすなり。一切の命あるものをことさらに殺生なすなかれ。ボサツは常に慈悲心、孝養、従順の心を起こして、一切の衆生を守るべし。わがままなる心にて殺生をなすは、これボサツの大罪なり。

仏子もし、みずから盗み、人をして盗ましむれば、盗みの因縁、業をなすなり。

持ち主ある一切の物、一針一草たりとも、ことさらに盗むことなかれ。ボサツは仏性の慈悲心、孝養、従順の心を起こして、常に一切の人を助け福を生じ、楽を生ぜしむべし。

仏子もし、みずから淫らをなし、人をして淫らならしむれば、淫らの因縁、業をなすなり。ボサツは孝養、従順の心を起こして、常に一切の衆生を救済正導なし、淫らならざる法を人に与うべし。

仏子もし、みずから偽りを言い、人をして偽らしむるなれば、うそ言いの因縁、業をなすなり。見ざるを見たりと言い、見たるを見ずと言い、身心にて偽りをなす。ボサツは常に正語正見を生じ、又一切の衆生に正語正見を生ぜしむべし。

仏子もし、みずから酒を売り、人をして酒を売らしむるなれば、酒を売る因縁、業をなすなり。一切の酒を売ることなかれ。酒は罪を起こすの因縁なればなり。ボサツは一切の衆生に明らかなる知恵を生ぜしむべし。

仏子もし、みずから出家在家のボサツ、ビク、ビク尼の罪過を言い、人をして罪過を言わしむるなれば、罪過を言うの因縁、業をなすならん。ボサツは異教徒及び独善の悪人が、仏法を非難なすを聞きては、慈悲心を起こし、この悪人を教化して大乗の善信を生ぜしむべし。

仏子もし、みずからを賛め、他をそしり、又人をして自賛せしめ、他をそしらしむるなれば、自賛し、他をそしるの因縁、業をなすなり。ボサツは一切の衆生に代りて、そしりを受け、悪しき事はおのれに向け、善き事は他人に与うべし。

仏子もし、みずから惜しみ、人をして惜しましむるなれば、惜しみの因縁、業をなすならん。ボサツは一切の貧しき人の来たりて乞う者には、求めるものを与うべし。

仏子もし、みずから怒り、人をして怒らしむるなれば、怒りの因縁、業をなすなり。ボサツは一切の衆生の中に争いなき善根を生ぜしめ、常に慈悲心を生ぜしむべし。

仏子もし、みずから三宝をそしり、人をして三宝をそしらしむるなれば、そしりの因縁、業をなすならん。ボサツは異教徒及び悪人が一言にてもブッタをそしる声を聞きては、三百の鉾にて心を突きささるるがごとくなるべし。ましてやみずからそしりて信心、孝養、従順の心を失わしむることなかれ。しかるに悪人邪見の人を助けてそしらばボサツの大罪なり。

これボサツの十戒なり。よく学びて、一一をわずかなりとも犯すことなかれ。犯さばこれことごとくボサツの大罪なればなり。と。
三宝聖典了)

梵網経

 あとがき
この三宝聖典は、釈尊ブッダ)が生きておられた時の歴史的事実・求道・真理への到達(覚り)・その後の四五年間の普及活動などを明らかにしたものであり、真理の教え・縁起(ダンマ)の教え・弟子の衆(サンガ)及び信者との交流を現したものである。

したがって、その当時の宗教状態や修道者(宗教的生活者)の在り方がよく分かる。なおこの聖典は、スリランカに伝えられた南伝大蔵経のごく一部を選び出して、編集し、お経の本としても読めるようにしたものである。

この三宝聖典は、原始仏教学者の最高権威である水野弘元博士の御意志を多く下敷にしてあるが、その是非の責任の大半は田辺聖恵にある。一読されてこの内容が日本化された諸宗派とあまりにも違うので、驚かれることが多いであろう。従って、この三宝聖典の将来における普及については、非常に望み薄いがこれを受け入れる方、また参考になさる方はおおいに得る所があるであろう。

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 道 徳(善) -真理を土台にした幸福な生き方
 宗 教(聖) -人間としての価値ある最高の生き方

この価値ある真理を実現して、全精神を打ち込むことが最高の宗教と思われる。今後の普及を念願してやまない。なお、この三宝聖典の普及の為に、印刷・解説など自由に活用なされること認めます。
                      田辺聖恵