三宝法典 第二部 第五二項 チッタ長者とイシダッタ

チッタ長者とイシダッタ 

マッチカー山のチッタ長者はアンバータカの林に住むビクらをしばしば供養せり。ある日長者はビクらを招きて問えり。

「尊者らよ、世間に種々の見解あり。世間は変化せずあるいは変化す。限りありあるいは限りなし。如来は死後存在なすあるいは存在せず、霊魂は肉体と同一あるいは別などなり。世尊はこれらを六十二種の見解として梵網経に示したまえり。これらの見解はいかにして生ずるならん。」

多くの上座のビクらは沈黙せり。三度問いをくりかえされたるも沈黙せり。ビクのうち、もっとも年少のイシダッタビクは、上座の許しを受けて答えり。

「長者よ、そは身体へのこだわりあるゆえに、これらの邪見が生ずるなり。この肉体を作りなす五要素、物・感受・想い・意思・心に対し、わが本体と見ることなり。聖なる教えにくらき多くの人の考えなり。聖なる教えになれ、世尊のみ教えにて心をみがくものは、五要素をわが本体と見ず、かくて身体へのこだわりを持たざるなり。」

「大徳よ、おんみはいずれより来たるや。」

「われはアバンティ国より来たれり。」

「大徳よ、アバンティにはいまだ見ざる友あり。出家してイシダッタと言えり。大徳はかれに逢いたるや。」   「われ逢えり。」

「かの尊者は今いずこに住するや」

イシダッタは答えざりしなり。

「大徳よ、おんみはイシダッタと言わるるや。」   「しかり。」

「大徳よ、願わくば永くこの地に住みたまえ、われ厚く供養なさん。」

「長者よ、お言葉ありがたく受くるなり。」

チッタ長者は喜びてビクらに供養なせり。林に帰りてビクらイシダッタの労をねぎらいたれど、かれは坐具をまとめ、鉢を持ちていずこともなく立ち去り、ふたたびこの地にもどり来たることなかりき。

のちにチッタ長者、ニガンダと問答し、信より知恵のすぐれたるを説き、「大徳ニガンダよ、われは世尊を信ずるにあらず、あらき思い、ささいなる思いの消えたる心の統一あり、雑念の滅しつくしあり。」
と、心統一の四段階に到達せるを述べたり。


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