Out on a Limb 独りファシズム

2013/01/26 00:09
あまりに抽象的な記述なので、理解して頂ける方は本当に極少数だと思うのだが、それはそれで結構だ。

このブログの運営趣旨は啓蒙や連帯ではなく、執筆により自身が自身の内面と向き合う省察であり、心情の吐露によるカタルシスであり、そもそも価値観の共有や連帯などを求めていないからだ。

などと偉そうに語ったところで、人間というのは煩悩として他者からの理解を欲望するのであり、その克服は仏教的テーマでもあり、案外に苦行なのだけれど、知識を身につけるほどに孤独を増していく、あるいは情報が増えるほどに疎外感が強まるというパラドックスは、自分のような人間より皆さん方の方が深く体験されているのかもしれない。

自分もすでにいい齢に達し、友人などは立派に社会的地位を確保しているのだが、それはつまり見識に対する権威あるいは言説に対する認証の付与と同義であり、ポジションの上昇とともに自己懐疑を喪失するのは必然なのだと思う。

まどろっこしい表現になってしまったが、早い話、新聞・テレビが虚報を流し、国家が海外投資家の下部構造と化している、原子炉事故により民族が滅びつつある、などと言い出したなら白眼視され、全く会話が成立しないわけだ。

もっとも、長髪にポマードを塗りたくり、改造バイクで集団走行をしていた当時の自分を知る彼らに対し、そのような輩の説話に耳と傾けろというのが無理だろう。

いずれにしろ、誰もが文化資本の多寡によって異なる現実を見ているのであり、我々は社会システムにおけるアノマリ(異分子)として孤立に耐え、「協約不可能性」という人間関係の不毛を突破しなければ、悟性の地平に到達することはできないのだと思う。

かつて社会の精神病理を「ポリアンナ症候群」と素描したのだけれど、それは日本的湿潤ではなく、むしろ「都合の悪いものは存在しない」とするアパシー(現実逃避)なのであり、この国のあらゆる知性は事実ではなく、自ら作り上げたコンテキスト(文脈構造)に現実を見出そうとしている。

客観的事実よりスローガンが優先されているのであり、全ての文法は主観概念の自己強化というトートロジー(反復語法)の構造を呈しているのであり、ダブルスピーク(矛盾語法)によって、社会現場では思考の麻痺が亢進されている。

行政とメディアは共謀し除染を喧伝しているのだが、そもそも原子炉はいまだ膨大な放射線を吐き散らかしているのであり、その無効性は議論するまでもなく、行為は狂信的な宗教儀式に等しいと言えるだろう。虚偽と事実がリミックスされ、ジャーナリズムの焦点は作為的に不明瞭化されているわけだ。

ヴァーチャルな現実が再生される中で、問われているのは、何が現実に見えるかではなく、何が現実なのか、という一点だけなのだと思う。

復興など虚妄なのであり、避難のみが有効なのであり、社会資本は第一義的にこれへ投じられるべきなのであり、汚染食品の流通はパンデミックの爆発をもたらすのであり、リグビダートルの症例どおり除染作業員の多くが健康被害に苦しむのであり、すでに首都圏すら被曝地なのだから、旧ソビエト連邦を桁違いに上回る惨害がもたらされることは明らかだ。

これら白明の事実は情報の仮装によって隠蔽されているのだけれど、それはつまり文明の麻酔なのであり、模造世界の自慰的ファンタジーなのであり、リテラシーに覚醒した市民が対峙するのはあまりにも絶望的な超現実なのだと思う。いずれにしろ、この体系はカオスを回避できないだろう。

皆さん方は今後さらに孤独や孤立の度合いを増していくのだろうけども、痛みはむしろ人の深化と成熟をもたらすのであり、五感を覆い尽くした虚構を破壊できるのは、馴れ合いではなく知的衝撃波だけなのだと信じたい。