3.11によってメディアが変遷したのではなく、3.11によってその本質が露呈したのだと思う。 独りファシズムVer.0.1

3.11によってメディアが変遷したのではなく、3.11によってその本質が露呈したのだと思う。 

もともと支配は情報の寡占と改変によって達成されてきたのだが、報道集団がこれほど醜悪な本性を剥き出しにする様相は史例が無いだろう。

4機の原子炉は2年近くも膨大な放射性物質を吐き散らかしているのだが、わずか1機の原子炉事故が短期間で収束した旧ソビエトのケースと比較すれば、人口密度と核物質量は桁違いなのであり、つまりそれを上回る惨害がもたらされることに議論の余地はない。

厳戒な報道規制の背景は被害があまりにも甚大であり、経済活動と社会秩序が崩壊するという、反応系の連鎖を警戒してのことなのだが、なによりも天文学的な賠償や補償により特別会計の寡占が困難化するためだろう。

秘匿された国家会計というリソースは中央官庁を頂点とし、独立行政法人特殊法人特殊会社公益法人地方自治体、地方公社、第三セクターという全国3万もの組織群が参与する「官製経済」へ投じられるのであり、つまり国家崩壊が目前に迫るこのフェーズにおいてすら、それは全く縮減の兆しがなく、むしろ固守されようとしているわけだ。

これら行政部門のコストは人件費、福利厚生、補助金、委託費などを合算すれば100兆円規模と推計されるのだが、つまり国税地方税を超える金が注ぎ込まれているのであり、「官製経済」とは拡大再生産をもたらす社会投資ではなく、公債を破滅的に膨張させる行為に過ぎない。

岡田克也が被曝地域の児童を避難させない事由として、「金がないから」と言質を残しているのだけれど、金はないのではなく、高学歴エリートに傾斜配分されているのであり、つまり彼らは人間生命よりも既得権益を優先すると宣言したわけであり、あらためて国民は反逆するほどの知性もないと舐められている。事実、そのとおりだ。

総務省は電波オークションの導入を見送り、メディア各社の権益を温存するという方針を全面的に打ち出したのだが、プラチナバンドという700MHz帯と900MHz帯を合わせ2兆円規模の利用料が試算されていたのだから、それを被曝地児童の恒久的な救助原資として確保することも可能だっただろう。つまり、この国の生命は権益によって蹂躙されている。

テレビ各局は総務省の許認可事業であり、売上対比0.2%以下というあまりにも廉価な電波利用料が提供され、公官庁は記者クラブに年間100億円の運営費を拠出し、そのうえ消費税引き上げにともない軽減税率が適用されようとしているのだから、母体である新聞社が省庁主導の下で情報カルテルを形成し、プロパガンダ機関として安定経営を目論むという合理性を貫通させているわけだ。

情報の隠蔽によって国民は汚染された土地に住み、核廃棄物同様の食物を摂取し、被曝して多くが病み、死ぬことになるのだろうけども、連中は人格障害者のごとく巧みに論点をすり替え、虚言は自己強化され、事実は情報化されることもなく、軽薄なコンテンツ群に埋没するのだと思う。

根源的に現実は不在であり、誰もがシュールリアル(ありえない現実)の鑑賞者であり、世界認識とは擬似意識に過ぎない。

現に被災地の児童から膨大な甲状腺異常が報告されながら、毎度のバカ騒ぎを電波で奔出させ民衆の軽薄化に狂奔しているのだから、我々の情報環境とはかくも欺瞞であり、情報の非対称性は許容を超えているのであり、社会はすでにオーウェル的世界の様相を呈している。

幾度も叙述したとおり、自分が全国紙系の広告代理店で編集長として勤務していた当時、「新聞購読者の知的レベルに合わせ、低劣なものをつくれ」という命題が下されていたのだが、この明証的な言葉は全てのマスメディアに通低する内在論理なのだろう。

メディアの擬似像は単に我々の認識を捏造しているだけでなく、生存権すらも脅かしているのであり、正説にすりかえられた虚説は認知の錯誤をもたらしているだけでなく、全面的な社会崩壊すらも起動するのであり、我々は先の大戦と同様、文化的敗北によって国家の終焉を迎えようとしている。
[2013/01/24 20:29]