市場原理主義の第二次的政策に直面 独りファシズムVer.0.

50年代以降の世界は、過激な搾取によって労働者が共産主義へ傾斜し、ナチズムの勃興が大戦へ発展した反省を踏まえ、資本主義に社会保障政策を導入する混合経済を実践した。さらに行政が経済へ積極的に介入し、関税障壁を設けるなど保護主義による自国産業の育成を図ったのだが、これにより中南米アジア諸国が欧州圏に迫る経済成長を遂げたことは周知のとおりだ。

しかし社会保障費の負担や高賃金により利潤を圧迫された投資家の不満が高まり、混合経済に代わる新たなイデオロギーとして模索されたのがレッセフェール(自由放任経済)であり、つまりミルトン・フリードマンが提唱する市場原理主義だった。

政策の核心は民営化、社会保障費(医療・教育・福祉)の削減、労働者の非正規化、関税障壁の撤廃、フラット税制、投資の自由化(外資による企業買収の自由化)であり、行政による市場介入を最小化することにより、生産活動が最大化し経済が発展するという論理だ。

70年代のラテンアメリカでは、米国が画策したクーデターにより相次いで軍事政権が樹立され、各国はフリードマン型の市場原理主義を導入するのだが、あらゆる公共資源や社会資本が略奪されたことは語るまでもない。

主用企業、公営企業また鉱山やインフラなどが外資に買収されたことから労働者賃金は激減し、失業率は倍増、社会支出の削減により識字率や就学率は大幅に低下するが、あらたな経済主体となった多国籍企業は納税義務を果たさないため歳入(税収)が枯渇し、いずれも対外債務の膨張により財政破綻に陥るという定型パターンを繰り返している。

その後はIMFや世銀が乗り込み、融資条件として「構造調整プログラム」の実施を求めるという制式であり、これによって多国籍企業が完全に国家主権を掌握し、つまり外国資本による国民の奴隷化が達成されるというわけだ。

チリ、アルゼンチン、ブラジル、ペルー、ボリビアウルグアイ、メキシコなど、いずれもこのスキームによって暴虐がつくされているのだが、侵略のプロセスにおいては米国と軍事政権が連携し、言論人、左派、共産主義者、活動家などを数十万人規模で拘束、拷問、殺害するなど壮絶な暴力が同期したことは報じられることもない。

自由貿易、民営化、フラット税制(消費税)、労働者の非正規化、企業買収の自由化、大企業減税、組織暴力はグローバリストの常套手段なのであり、日本国も小泉改革に続く市場原理主義の第二次的政策に直面していることは語るまでもないだろう。

この俯瞰図においてACTA、違法ダウンロード刑事罰化、コンピュータ監視法案の逐次的可決はTPPを射程に入れたヘゲモニー戦略なのであり、我々が帰属する体系は紛れもなく不可視的な資本帝国の版図に飲み込まれようとしている。

つまり、この国はレッセフェール(自由放任経済)最後のフロンティアなのであり、我々の繁栄とはslaughterhouse(屠場)への搬送プロセスに過ぎなかったわけだ。

全ての媒体は「ロールシャッハ・テスト」の図版なのであり、流布される情報に秩序と整合を見出すのか、あるいは殺意と虚偽を抽象するのか、洞察力は人間力そのものなのだと思う。脅威とは政治集団や官吏機構が中間支配者としての地位を担保にグローバル資本へ国家主権を委譲し、メディアの擬似像によって支配構造を隠蔽するという欺瞞に他ならない。
 [2012/11/20]