石原新党旗揚げ いまさら知事辞職してまでの“なぜ?”  世相を斬る あいば達也

  石原慎太郎都知事を辞職、“たちあがれ日本”を母体とする“保守右傾政党”を立ち上げる事となった。いまさらの感は否めないが、新党を立ち上げるのは石原の自由で、特に咎める事ではない。筆者の観察する限り、石原慎太郎と言う人は、実は極めて情緒的人物で、どこまで行っても作家なのだと思う。今回の漸くの新党旗揚げも、その情緒の表現に過ぎないのだろうと推測する。朝日新聞は、石原のなぜ今なのかを以下のように分析している。 

≪ 衆院解散への起爆剤となるか 揺さぶる石原氏 
 突然の辞職と新党結成の表明だった。東京都の石原慎太郎知事は25日、緊急記者会見を開き、国政への再挑戦を明らかにした。80歳にしての転身は、過半数割れ目前の与党を揺さぶり、衆院解散の起爆剤となるのか。日本維新の会橋下徹大阪市長はエールを送り、既成政党は警戒感を深めている。 
 「おれ、重大な決断したから」。元内閣安全保障室長の佐々淳行さんに先週、石原知事から電話があった。内容は告げなかったが、40年来の親交がある佐々 氏は「国政に出るんだな」とぴんと来たという。 
 25日、都庁で開いた記者会見。「今日でも、昨日でも、明日でもやりますよ。もう準備はできていますから」。新党結成の時期を問われた石原氏は、今回の辞職と国政への再挑戦について、タイミングを見計らっていたことを強調した。 
 では、なぜいまなのか。  石原氏周辺の一人は言う。「解散がずるずると先延ばしになるなか『俺(石原氏)が仕掛ける』ということだ」。野田佳彦首相が「近いうち」と表明したまま、一向に解散時期の見えてこない国会に対し、刺激を与えるのが狙いとみる。 
 民主党衆院単独過半数割れするまで、あと5議席。「いまは内閣不信任案が通らないが、石原氏が『新党に来て戦え』と言えば、民主党じゃだめだと思う議員が離党してくる」と、新党が解散への起爆剤になると期待する。  都知事としてこだわってきたことが、壁にぶつかった面もある。 
 今年4月、石原氏が米国で表明した尖閣諸島の購入計画。9月になって政府が尖閣諸島を国有化すると、東京都としてできることがなくなり、都政への関心は薄れていった。都庁ではこれから来年度予算編成が本格化するが、石原氏は12日の会見で「(やることは)あまりない」と明言した。 任期途中で辞職し、都政を投げ出す形となる石原氏。都知事在任中、繰り返し国政への意欲を語っていた石原氏は、この日の会見で辞職の理由を問われ、こう 答えた。「私はね、やっぱり、やり残したことがあったんですよ」 (朝日新聞) 

 石原慎太郎のカリスマ的魅力は筆者も否定しない。ただ、作家目線における評価であり、政治的活動も常に限定的枠内の領域で活躍できる域内政治家なのである。その点では、橋下徹渡辺喜美河村たかしとも相通じるものがある。石原が辞職の理由を問われ「私はね、やっぱり、やり残したことがあったんですよ」と云う答えは、青嵐会時代の石原慎太郎から一歩も抜け出していない、変わらない心情の持主だと評価すると同時に、国政は出来ない人なのだな~と云う強い印象を憶えた。 

 橋下徹渡辺喜美河村たかしにも言えることだが、域内政治家の特長は夢を語り、仮想敵を作る事で、域内の人々に精神的ヴァイタルを注入するのだが、有権者自体が、“閉塞の世界なのだから、チョッとくらい羽目を外しても良いだろう”と云う自由度に支えられている域内心情を忘れてはならない。このような政治家の欠点は、国家全体を任せると云う国政レベルにおいては、極めてひ弱になってしまうと云う弱点なのだ。石原新党の母体となる“たちあがれ日本”の平沼赳夫の場合、一定数ある我が国全体の右翼心情の国民の受け皿なのだが、石原や橋下は異質なものがあると云うことだ。 

 以上、石原の政治家体質の限定性を、彼の持つ情緒気質で語ったが、実際の国政レベルにおける影響がどのようなものになるか、チョッとだけ考えてみる。彼の新党旗揚げで民主党に対する影響だが、ほとんどないだろう。石原新党といっても平沼党であり、民主党から離脱者を誘う起爆剤とは考えにくい。自民党の一部には影響力はあるだろうが、それこそ今さら離党するまで石原の名前も決まっていない、政策も見えない政党に動きだす政治家が居ると云うのも、現実には考えにくい。 

 迷惑な立場に立たされるのが、日本維新の会みんなの党自民党なのだろう。石原は橋下の維新との連携連合に意欲的だが、橋下側は幾分迷惑顔な様子が窺える。みんなの党は甚だ迷惑に違いない。自民党は東京比例区で一議席失うことになりそうなのだから不快だろう。減税日本はグチャグチャになり解党のリスクを抱えたようだ。まぁ国家の右傾国民の受け皿が明確になるのなら、それはそれで良いことだ。ただ、筆者などは、石原慎太郎が自主独立を表向き標榜しながら、実は極めて親米的政治家であると云う点に着眼しているので、自民党の安倍との連携はなさそうだ。橋下、渡辺とは擦り合わせの余地があるだろうが、ひたすら混乱を招くだけの存在になってしまうだろう。マスメディアのネタ提供と云う側面的価値はある。読売、産経などは石原新党にフィーバーしている。まぁ日毎夜毎“盛り下がる”のは当然である(笑)。 

 小沢一郎の「国民の生活が第一」の結党パーティーの報道が石原新党報道の影に隠れてしまったが、「国民の生活が第一」の地道な活動が国政において、ボディーブローのような効果を現している実情に危機を感じた一部勢力との連携の臭いもするが、それはそれだけのことに過ぎない。また、小沢が大嫌いだと云う石原の、ジェラシー的行動だったかもしれない。彼が情緒的人物である以上、肯ける行動だ。まぁ新党だ新党だと騒ぎ立てながら、“幻の新党”などと揶揄されるのが堪えられなかったのだろう。なにも起こさずに萎んでしまう自分の政治人生に納得出来なかった心情は理解しよう。しかし、自分が許せないと云う情緒の塊り的行動と云うことだ。国政への影響は極めて限定的、コップの中で嵐を起こしたに過ぎない。 
2012年10月26日