辺見庸ロング・インタビュー  沖縄タイムス 国策を問う  沖縄と福島の40年 10 (3)(4)

(3)基地全廃 今こそ追求
 

 -今の日本人は自分の命を捨ててまで国を守るという意識は溥いように思います。一方軍事や国防に関することは一部の専門家任せで無関心という側面も浮かびます。自分の身の回り以外の問題に対する関心の幅が狭いようにも思います。            

 

辺見 命を捨てて国を守る意識って大事ですか?僕はそうは思わない。この国が命を捨ててまで守らなければならないような内実と理想をもった共同体かどうか、国という一幻想や擬制が一人ひとりの人間存在や命と引き合うものかをまず考えたほうがいい。沖縄戦の歴史の中に正しい解答があるでしょう。それはさておき、ひと昔前にアメリカではやった、NIMBY(Not In My Back Yard)という言葉がありますが、米軍基地や原発がそうなんだと思います。基地も原発も必要、ないし必要悪である、だけど自分の家の近くに置かれては困るという思想。沖縄に対する本土の人間の考えの中にはNIMBYがある。     

 それと、国土の0.6%の沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中している、というのがいつも枕詞になっているけれど、僕はここをもう少し踏み込んだところで論じ合っていく必要があると思っています。そもそも米軍基地の問題を、「悪の公平負担」という発想で沖縄県外にばらけさすことが最終的な解決策であるわけがない。つまり、軍事基地完全撤廃を言ってはなぜいけないのか。そうした観点から憲法9条をもう1回考えてみたい。9条はもう無効で不要なものなのか。わたしはそうは思わない。沖縄の問題というと、いつも普天間基地の固定化だけが問題にされる。あるいは74%の基地が集中していると。じゃあ次の問題はどうするのか、一、二歩踏み込んだ議論が若い人の間に起きないかなあって思います。軍事基地は日本には不要という仮説は演繹不可能なのか、あり得ないのかどうかということです。

 若いころ、共同通信の記者だったとき、沖縄の記者たちと飲んだりした際に、沖縄で開催されるマラソン大会に自衛隊から協力の申し出があったけど断ったという事例を聞いて、さすがだな、沖縄は強いなって感心した記憶があるけれど、今はそれどころじゃないでしょう。本土の人間の沖縄に対する見方が変わってきているだけじゃなくて、沖縄自身の沖縄観も変わってきている。

自民党民主党の一部から隠然と出ている議論として、自衛隊海兵隊方式の機動部隊をもつべきだとか原子力潜水艦を4隻ぐらい保有すべきだ、戦術核もOKという考え方がありますね。憲法を改定し、日本も自主的にパワーゲームに参加しようという発想が増えている。わたしは中国に6年間駐在した人間として、その論理の非科学性に呆れて笑っちゃうんですね。正気かと。僕に対案があるわけじゃない。でも中国と戦争やるのか、ロシアと軍事力を競うのか。事実上、9条は機能していない。非核三原則だって危ない。武器輸出の原則も崩しつつある。そうしてこの国がいくら軍備を増強したって、あんなマンモス象みたいなのとどうやって対抗するのだと、その非科学性を言っているんです。9条死守より軍備増強のほうが客観的合理性を欠くのです。だから米国の軍事力に頼れ、日米安保を強化しろ、沖縄は我慢しろ、というのは絶対に違う。その逆です。身体をはった徹底的なパシフィズム(平和主義、反戦主義)が僕の理想です。9条死守・安保廃棄・基地撤廃というパシフィズムではいけないのか。丸腰ではダメなのか。国を守るためではなく、パンフィズムを守るためならわたしも命を賭ける価値があると思います。

僕には長かった近代の思想というのはもう終わりに来ているんだという自覚がある。主権国家体制、市民革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の発展とテクノロジー万能主義、国民国家の形成など、16世紀以降の欧州で誕生し、現代世界を価値づけてきた社会のあり方、枠組み、準則が崩れてきている。で、従来の帝国主義の実行主体の足場を奪う、新たな列強の覇権争奪が始まっている。何よりも中国。中国は革命の理想を完全にうち捨てた異様な軍事大国になった。途方もない貧富の格差、堕落した共産党の一党支配、公安警察の跋扈(ばっこ)と死刑の連発、人権弾圧…。一方でロシアの覇権主義言論弾圧もますます露骨になった。チェチェンにはやりたい放題。そうした中で相対的に、米国の株が上がっていく。それと同時に、沖縄から発進して朝鮮、ベトナムであれほど人を殺した、あの米軍と今は違うんだみたいな錯覚がある。同じです。米軍は依然、世界最大の戦争マシーンです。アフガンでもイラクでも罪のない人をいっぱい殺している。

平和憲法も安保も無責任に肯定する本土の分裂症的病状への苛立ちから、9条なんかなくていい、改憲せよという短絡と暴論が最近目立ちます。わたしたちは実はいま、ショウダウン、対決を迫られているのです。平和か改憲か。沖縄の基地問題を語るときに、県外に公平に負担させようじやないか、というところ止まりで議論が終わるのでは全然駄目だよと思っています。もっとはっきりした基地の全面的な撤廃という「夢」を現実化する思考を命がけでつきつめていくべきです。沖縄の基地問題に政治技術的な「落とし所」なんて本質的にありえない。そのことを本土の世論は理屈だけでなく身体的にも担保しなければならない。

 
(4)虚妄に覆われた時代
 

 -今から40年前に福島第1原発が営業運転を開始し、沖縄が本土復帰しました。高度成長期もバブルもあった、この40年というのは振り返ってどういう時代だったか。一線の記者、作家として時代を見てきた辺見さんの目にはどう映っていますか。      

 

 辺見 実は僕が共同通信に入社したのは1970年。その2年後に本土復帰。この40年ということを言われると、ひとことで言うと慚愧に堪えないという思いがありますね。理想のために闘い、何かをつくり上げてきたという思いはまったくないですね。今度の震災こともあるけれど、自分の中ではどっちかというと崩壊感覚の方が強い。僕も学生のときにアメリカの原子力潜水艦反対のデモをやったり、横須賀へ行って空母の母港化反対とかのデモをやったり、警察に殴られたりして生きてきたわけなんだけれども、今なんか大歓迎でしょう。何という変わりようでしょうか。この40年というのは何か大事なものが実ってきたわけではなく、銭カネと引き換えに一番大事なもの、魂を売りわたしてきたという印象の方が強いですね。

 僕にすれば沖縄の問題は外在する問題じゃなくて、日本という国の思想の成り立ちの上で決定的に重要なテーマなのです。この40年の虚妄と荒み。それを諸手を挙げて喜ぶという気持ちには全然なれない。

 

-安保も原発も背景には、米国との関係をうまくやって、経済さえ順調であればいいという主張にみんなが乗っ掛って思考停止してきた面があったように感じます。     


辺見 安保だけじゃない、経済もみんなアメリカ頼み。そこから脱却して何か新しい社会、コミュニティーのありようってないのか、思想家も文芸をやる人間も見いだせなかった。それを敗北感として僕はもちますね。1980年代前半にわたしは米国に研修留学して痛感したのは、米国には、せいぜいよくても、爆弾を落とす側の浅い。“良心”しかないということ。爆弾を落とされた側の地獄を知らない。それで僕は志願してハノイの特派員になりました。爆弾を落とされた側に立ってみて、世界像がやっと生々しく立ち上がった気がする。

 9条とか憲法とかが抜け殻のようになってきた。これではまるで偽善者のお飾りです。それでも俺は9条を守るべきだと思う。憲法を俺は現在も有用であると考える。自己身体を入れこんでそう思う。同時に、有用なものを実行することができなかったのはなぜなのかと問う。お題目だけ唱えて、お国言葉で朗読してみたり歌ったりするだけで、闘わずに憲法を形骸化したのは誰の責任なのだ。復帰40周年といっても、沖縄の植民地的実態が変わっていないのはなぜなのだ、と問わなければならない。

 ワイマール憲法下のドイツがナチスの台頭を許し、世界最先端と言われた民主主義が世界で最悪の独裁者を育ててしまった経緯には現在でも学ぶべき点があります。

 

沖縄密約事件を、辺見さんはどのように見てこられましたか。


辺見 密約情報を得た西山太吉さんは権力と権力の意を体した「言論テロリズム」に撃たれたのです。あれ以降、ジャーナリズムは萎縮してしまい国家機密にかかわるスクープが政府の思惑どおりに激減した。新聞は西山さんを守りきれなかった、というより守らなかった。メディアつていうのは所詮そんなものだと言えば言える。でもその中でも、やっぱり西山さん的な「例外」というのが結局、歴史の暗部、真相を見せてくれたわけだから、権力の隠蔽工作に立ち向かう試みを棄ててはいけない。国家権力とジャーナリズムは絶対に永遠に折り合えないものです。折り合ってはならない。国家機密はスッパ抜くか隠されるか、スクープするか隠蔽されるか、です。記者の生命線はそこにある。いまは権力とメディアが握手するばかりじやないですか。記者は徒党を組むな、例外をやれ、と僕は思う。ケチョンケチョンにやられるまで例外をやって、10年後、20年後にああ、あれはこんなに大きな意味があったのかと。というふうな取材をしたら、その段階ではくそみそに言われるよ。会社からも余計なことするなって言われる。誰もかばいはしない。ますますそういう時代になってきている。でも今ぐらい特ダネが転かっている時代はないと思うよ。権力がいい気になって調子にのっており、わきが甘くなっているからね。