釈尊の聖言 「姿を見る」

釈尊の聖言 
 愛欲が心にまつわり濁れば道を得ることを得ず。水澄み汚れ除かれて清らかとなれば、その姿を見るなり。
  「姿を見る」
 この頃急に人間らしくという言葉が流行し出した。流行というものは本来意味不明のものである。この人間らしくもその意味不明の最たるものであろう。道具家具などに本の肌ざわりを採り入れ、金属性と変えるなどもあるが、どうやら愛情本位という事らしい。ずばり言えば愛欲においての開き直りである。宗教的に言えば悟りとか救われとかのいわば曰常性の脱出とはまる反対の方向をめざすようである。文学やドラマはそれがメシの種となろうが、宗教は特に仏教は澄明な心の境地をめざす。
 それはまるきり愛欲と無縁のものではない。愛欲の中から出生してきたものが、まるまる別個な心を求めるのではない。教えに従って学習する内に愛欲心が友愛心に昇華してくるのである。こうした所に真の人間らしさ、その姿が見え出してくる。