原始仏教講座 第六講(最終講) その十四

第六講 その十四
六、悪をはなれ、飲酒をつつしみ、法をよく守る、これぞなり最上の浄福。ここでは皆さんほっとする、飲酒をつつしみですからね。飲むなじゃないんです。お釈迦様の仏教では酒を飲むなという話をはずしてある場合があるんです。阿含経ではですね。
 日本式になりますと、建前だけが受け継がれるから、酒は飲むべからずというのが入っている。禅宗のお寺の入り口に葷酒山門を入るべからずと書いてあるの見たことあるでしょ。葷はニラ、ニンニク、ああいうくさいやつ。あれはくさいということが、ニンニクでもそうです、あれは精力剤になるんです。出家の坊さんがそうので精力ついては困るんですね、くさいということもありますけど。ところが建前、葷酒山門を入るべからず、お寺の門を、そのくさいものを食って、そして酒を持ち込んではいけないと書いてあるけれども、坊さんは実に酒を飲むわけです。酒呑んではいけない、だから酒は飲まない、般若湯を飲むんであると。般若湯という名前を付けるわけです。般若湯というのはお酒を禅宗の坊さんなんかが言い換えているわけです。般若とは智慧です。智慧のお湯というわけです。智慧のお湯を飲むんで酒は飲んでいないというわけ、酒呑んではいかんとなっているから、だから酒は飲まない。智慧のお湯を呑むんである。ところが智慧のお湯を呑めば酔っぱらって、智慧どころか無くなる。
 六方礼経に「酒を呑めば知恵日に損ずる」とあります。善男子よ、酒に溺るゝに六つの損失あり。財を失い、争いをおこし、病の巣となり。悪評ひろまり、かくすべきをあらわし、知恵日に損ずるなり。酒に溺れるようになったらもう知恵が1日1日減っていく。もともと少ない知恵ですから、それが1日1日減って目減りしたらもうゼロどころかマイナスになるんですよね。アル中がまさにマイナスの状態ということになりますね。お釈迦様ちゃんとこういう話までしてある。ところが、つつしむならいいわけです。皆さんつつしんでお呑みになればいいわけです。
 こういうように信者については、妥協点といいますか、信者さんの実情に合わせて、あまり無理しない程度にお話をしておられるということです。