原始仏教講座 第六講(最終講) その十三

第六講 その十三
 布施をなし、これは信者さんとしては信者としての宗教活動、修行なんか出来ませんから、布施をするか、出来るか出来ないか、これで自己点検が出来るわけです。布施を出来ないならば、自分は貧しいんです、欲望の塊です。自分が布施を出来るようになったのは、自分の持っている物を人に与える事が出来るようになった、これが豊かさなんですね。現在日本は豊かさです。その豊かさの中で更に自分の欲望を満足させようとしていますから、実に貧しいんです。戦時中の貧しさが延長しているんですね。
 本当の豊かさは持っている物を少しでも他に施してゆく、その心の広さ自由さ、そこに本当の豊かさがあるわけですよね。布施を通してやるわけです。
 日本では信者さんが布施をするということを殆ど知らない。それは日本のお寺が権力者によって建てられたお寺が多い。だからほとんどそっちから費用を出しているから、信者さんが布施をすることによって坊さんやお寺が成り立っているというんではないから、信者さん布施するということを知らないわけなんですね。教えられてこなかったんです。だからこれは日本の宗教者の責任です。
 ところがお釈迦様は布施をすることが幸せだと言っておられるでしょう。布施をなし、清く行い、親族を守り、非難なき生業に従う、これぞ最上の浄福なり。布施が出来るということが幸せなんだというわけなんです。だから日本人にとっては実に耳の痛い話しなんです。