釈尊の聖言 「戸を守る」

 釈尊の聖言 
 ビクにして三法を具えれば、まことの道に入り、煩悩を滅ぼさんと勤めつつありと云わる。
 三法とは五官の戸を守り、食の量を知り、眠りを防ぐことなり。
 五官の戸を守るとはビクが眼・耳・鼻・舌・身の五根にて知る感覚に執着せず、心に法を知りて執着せざるなり。五官の戸を守らざれば、むさぼりと悲しみ、悪不善の法が生ずるなり。
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     「戸を守る」
 誰からも強制されず、跡つぎなどの世俗的理由によらず、全く自発して覚りへの道に入る。これほど積極的なことがあろうか。その積極そのものの釈尊仏教において、五官の戸口を守れ、食をむさぼるな、眠り怠けるなと。これはまた何と消極的な教えであろうか。
 こうした事だからアゴンは程度が低い、入り口の教えに過ぎないと、大変頭の良いお坊さんがお経分類をした。
 後の頭の良いお坊さんはそうだとしてこんなお教えをすっ飛ばして、高級無比なものを作り上げていった。学者諸氏はこれを発展仏教という。いわゆる進歩思想。では釈尊の仏教は未発展、問題にするに足らず、という事なのだろうか。発展仏教のナレノハテは何所に行けば発見出来るか?まず食べることにバカバカしい程の取り組をする、ここから釈尊仏教は始まる。それは生き方の問題で哲学や観念論でないから。