釈尊の聖言 「衣のすそ」

  釈尊の聖言 
 ビクらよ、たとえばビクがわが衣のすそを取りて後に従い、わが足もとを踏むとも、かれ欲深くして心乱れてあれば、かれはわれより遠し。何故なれば、かのビクは法を見ず、法を見ざるものはわれを見ざればなり。
 又、ビクがわれより百里はなれてあるも、かれ欲をはなれ、心定まりてあれば、かれはわれに近し。何故なれば、かれは法を見、法を見る故にわれを見るなればなり。
   「衣のすそ」
 「虎の威を借る狐」のコトワザがひょいと思い出されるが、私どもは案外この伝をおかしているかも知れない。私には神仏がついているからとか、民主主義はこうだからとか、つまり何かの権威を自分の都合によい様に利用していて、しかもその事に少しも反省的でないという。こう考えると私そのものという風にも思える。自分の願望が強い余り、ただただ信仰はするが、その肝腎な神仏の本質を考えたり、教えを受けたりする事をしない。
 仏教における仏陀釈尊は真理正法をその本質とする。従って理法から離れた願い事をしても全く無縁ということになる。「法を見る者はわれを見る」と云われる釈尊こそまことの仏け様である。たとえその法を修行体験するでないまでも、そうした方向に心を向ける者であればそれは真の仏教者と云えよう。
 真理正法を知る学ぶだけでも、今までの自分中心性を転換出来るに違いない。ここに信仰があり又信頼が生じる。一生かかってもそうした信仰者への道を歩みたいものである。