釈尊の聖言 「苦滅を説く」

 釈尊の聖言 
 フタバルよ、われは苦を説き、苦の集を説き、苦の滅を説き、苦の滅に至る道を説くなり。これは義にかない、法に合し、修行に関係し、執着を離れ欲を離れ、正智を開き、ニバーナに導くものなればなり。
 「苦滅を説く」
 多くの人が「人生は苦なり」と考えるならば、釈尊はわざわざその話の為に四十五年もかけて旅から旅へ行かれる必要はなかったであろう。ところが大半の人々は欲望の追求と満足で一生を使ってしまう。それでは人生の意義はどこにあるのか。仏教者としては真理法に合致する方向に自分の人生を定めなければ、真の納得は得られない。何かの不思議な力信仰をしていても、いつか目覚めさせられた理知性は、それに満足出来ない様になる。そのためには親子何代もかかるかも知れない。ただ単に執着心を捨てようとしても、正しい人間理解が出来ていなければ自己転換は難しい。己と真理との喰い違いに気付かない事が、人生の真の意義発見にならず、その虚構人生が苦なのである。何という根源的な苦であろうか。真理正法、正智の道を説き、警鐘をならし続けられた釈尊。ここに仏教の簡要が示されている。選択は読者のものである。