釈尊の聖言 「芯のある者」

 釈尊の聖言 
 アーナンダよ、われは陶器づくりが、柔らかなる土を扱うがごとくなさず、攻め打ちきたえて教ゆるなり。
 心の確かなる芯のあるもののみが残るならん。
  「芯のある者」
 仏けさまと云うと、慈悲が本体で私共を優しく包みこんで下さる方とばかり思いこんでいたら、これは又、何と厳しいお言葉であろう。なるほど信者に対しては優しいばかりの応待である。ところが直弟子に対してはそんな甘いものではない。それでは弟子がものにならないからである。しかしその厳しさとは、山を登ったり下ったりの難行苦行をさせると云ったことではない。
 一日も油断なく、己の心を問わしめられるという事である。経文の意味をほじくることでもない。何年も予備学習をせねば心髄に近づけないと云った事でもない。平明卒直な縁起の真理を体験化したがどうか、ただその一点においての鍛練正導である。むしろ苦行的な行の方がやり甲斐があるかも知れない。この様な生ける師を持つことが真の弟子入りである。
 信者でしか在り得ない事に気付くのも又貴重な事と云わねばなるまい。