原始仏教講座 第五講 その十三

第五講 その十三
南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏、南無大師遍照金剛という話は聞いたけれど、三宝というのは聞いたことがないということなんですね。そうお経に書いてある。はてしなき時をすぎても三宝のみ名を聞かずと、あらゆる功徳、色んな事をやって、いい事をして、そのいい種まいてきた、そうするとその功徳によって、柔和正直なる者は、素直な者は皆私が、お釈迦様がここに居って、そして真理の話を説いていると見ることが出来るようになるというわけです。そうするとぴったり当てはまるでしょう。
あなた方が素直で、柔和正直でなければ、○○がそんないに言っても、なあに大したことあるまいというなら、ここに来なかったわけです。所が何となく付いて来られたのだろうけれど、何となく付いて来たと言うことは柔和正直なんですね。頑固じゃないということ。
今頑張れ頑張れというでしょう、頑張れというのは我を張れなんです。我を張れというのは頑固を張れ、頑固を主張せよ、俺はこうだという頑固さを主張せよと、昔は一徹者と言った。だから頑固な者は困るというのが、頑固者というのは、あれは困った存在ということなんです。それを皆、頑張れ頑張れ、女の人まで頑張れと言うんです。NHKの女のアナウンサーも、じゃどうぞ頑張ってください、こう言うわけです。日本中頑張れ頑張れと、そして皆くたびれるんです。くたびれるから、お疲れ様、頑張ってくたびれる、頑張ってくたびれる、日本人は皆くたびれているんです。
 そういうのじゃなくて、もう少し柔和正直になって、柔和さをもって、そして素直に仏教とは何か、三宝で成り立っているんだ、なら三宝をもう少し分るようにしてくれということですね。そうなるとお釈迦様が、ああ俺がここに居るぞ、説明するぞというわけです。私のところに祭ってあるお釈迦様、あれも私が彫ったお釈迦様ですけど、金ぴかじゃないでしょう。金ピカの仏様というのは、永遠の存在、哲学的仏様、私のは金ピカにしていない、生きた人間としてのお釈迦様を一応現わしているつもり、だから金ぴかにしていない。