原始仏教講座 第五講 その四

第五講 その四

 そのうちの18番目がこれです。たとえブッダとわれなるに、私が仏様になるのに、ただ仏様になるんじゃないと、私の所に来たいと、私のお浄土に来たいと思う人達が皆私の所に来れるようになるのでなければ、私だけが仏様になってもしょうがない。
 そういう仏様なら私はならない。とおっしゃったわけです。と願かけした。すなわちお浄土とは自分だけが覚った世界ではないんですね。その教を受ける人々が共々に皆が、その宗教的境地になって喜び合える世界、そういうのがお浄土だと。そういうお浄土を作り上げそこにいるということが仏になるということである。というわけです、だから私が仏になるというのに、あらゆる衆生が、信じ楽しみ、そして私の所に、往生、そこに行って生まれ変わりたいと思うならば、皆も生まれ変わることができる。そういう風になるんでなければ、私は仏様にならないと、願われたというわけです。
 たゞしという但し書きがあるんです。たゞし五逆の罪おかし、正法そしる者のぞく。というわけです。
 ただし例外があると。それは五つの大きな罪を犯した者は例外であるというわけです。五つの罪を犯すというのは、仏さまに傷つけ血を流させるとい大きな罪を犯す。現実にお釈迦様にダーバダッタという人が大きな石を投げて、その石の破片がお釈迦様の足にあたる、お釈迦様の足から血が出てお釈迦様が痛みなさったということが現実にあった、歴史的に、それをふまえているわけです。
 それからお父さんを殺しお母さんを殺した者はこれも例外である。現実に王子が自分の父親を殺させる、自分が直接殺したのではないけれど、お父さんを幽閉して自分が王様の位を奪うわけです。そして結果的にはお父さんが死ぬわけです。アジャセ王という歴史的事実があるわけです。だからお父さんお母さんを殺した者は除くというわけです、そういうのを五逆、大きな逆罪、罪ですね、それを犯した者は阿弥陀様にお願いしても駄目だというわけです。