原始仏教講座 第五講 その二

第五講 その二
 というのはこの紀元元年前後にこういうお経を作った人達、たとえば法華経とかですね、般若経とか、さらに密教のお経はさらに三、四百年後に作られたんですね。密教のお経とは大日経です。バラモン教の要素を取り入れて、仏教の論理と混ぜ合わせたのが密教なんです。
 ですから非常に哲学的でありしかも小乗的であるんですね。たとえば密教でいいますと、火を焚くでしょう、護摩、インドではホーマーといいます。火を仏様のように見るわけですよね、煩悩を火で焼くという発想も出来ますけれど、お釈迦様の時分には火を神様として信仰していた人達が沢山いたんですね。
 それをお釈迦様は批判したんです。火を神様として拝んで何なのかというわけです。そういう神様がどういうものかはっきりしないではないかというわけです。はっきりしないものを、確かに火はありがたいです、ありがたいけど、日常生活においてありがたいけれど、宗教的に意味がないとして火を祀るというやり方をお釈迦様は批判なさる。真理を中心になさったわけです。ですから火を拝むということは、やめろと、やめさせられたんですね。
 ウルベーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパという兄第が火を神様として拝み、弟子を千人も持っていた。そういう人達をお釈迦様は指導なさって、神様を火として祭ることをやめさせなさったことがあります。
 だからそれから言いますと、火を神様あるいは仏様として拝むというのは象徴的にしても、ちょっとまずいんです、本当は。ところが、お釈迦様から何百年も経ちますと、そういう象徴的なものが必要になってくると思ったんでしょうね。それで密教では火を仏様として拝むとか火を焚くとかいうようなのが段々出来てきます。それは紀元後三百年四百年後の話です。