釈尊の聖言 「水行」

 釈尊の聖言 
「種々の河に人々の悪業を清め、功徳を与うるの無益なる云い伝えあるも、こは人々の悪業に関わりなし。
 バラモンよ、この教えに水浴し、殺生をなさず、盗まず、偽りを云わず、信仰を抱き、むさぼることなくば、これ真の水行にして河に関わりなし。」
 「水行」
◎現在でもインドの映像が出る時、ガンジス河で水浴する沢山の人々が現われる。ヒンズウ教としては、この聖なる河にて水浴することによって、自己が浄化されるものとする。それは論理と別な信仰によってなされるものであるから、その人々にとって最高の価値ある行動となる。あまたの人々がそのために巡礼の旅を続ける。さてこうした信仰の中から、本当の宗教、価値ある人間の生き方は何か−と追求をしていった釈尊は、あまり意味のない伝承に対して、まことに適確な判断をする。人間は自らなした事の報いは自ら受けるものである−という生き方の原理を明確にする。これは弱く、欲が深く、自己中心的な人間にとっては厳しい原理である。しかし、まじめに生き様とする者にとっては、まさに希望そのものである。自分の行為とその結果こそ確なものである。この原理とどの様に対面するかによって宗教は本物になってゆく。