釈尊の聖言 「死について」

 釈尊の聖言 
 「バラモンよ、死なねばならぬものにして、死を恐るるものあり、又死を恐れざるものあり。死を恐るるものとは、五欲に対してむさぼる心を去らず、重き病いにかかるなれば、好めるものを捨てゆかねばならずと苦しみ悩み、胸をたたきて泣き悲しむなり。この肉身に対してむさぼる心を去らず、重き病いにかかるなれば、この肉身を捨てゆかねばならず
と苦悩なすなり。
 又この世において善きことをなさず、避難所を作らず、悪しきことのみをなせるは、死にのぞみて苦悩なすなり。 
 正しき法に対しても疑い惑うも、死への恐れを去らしめず。」
「死について」
 仏教が死へ直面する事から、本格的に始まるということはあまり知られていない。死をはっきり見つめる事によって死と死への恐れが別である事が分ってくる。本当に問題にせねばならないのは、死への恐れ。多くの人はそれをまぎらわそうとして、やたらと、はしり廻ったり、生き甲斐にしがみついたりする。
 まさに音もなくやってくる死、しかも例外なしという厳しさ。この問題をさけた思想哲学や、幸福論や道徳論では、人の心底を安定させる事が出来ない。
 本格的な宗教があまり好まれないのはこうした徹底の道を含んでいるからではなかろうか。一応の信心である程度の幸せ安心は得られるが、いつかはこの死にはっきり対所しなければならなくなる。
 後廻わしにするか、先取りするか−そこに死によってすら壊わされることのない本物の幸福が得られる。どうせなら先取りする者の仲間に入りたいものであるそれが己を生かす道なのだから。