原始仏教講座 第四講 その十九

第四講 その十九

 ではどうなればいいかということです。滅諦です。滅諦ははげしき愛をすてさりて、執着はなれ、苦を滅し、解脱をなせるニバーナなり。滅諦というのはその苦しみが無くなった状態をいうわけですが、どうしたらそうなるかというと、どういう状態かというと、はげしい愛をすてさりて、はげしい愛着、執着、とらわれ、あれが欲しい、これが欲しいと地位も名誉も財産も死んでから先までも欲しがると、果てしがないわけです。 
 そういうはげしい愛着をすてさりて、結局そんなもの大したものじゃないじゃないかということなんです。それでそういうものに対する執着をはなれ、そうすると苦がなくなるわけです。苦しまなくなるわけです。
 それが解脱なんですね。解脱をなせるニバーナであると。ニバーナ即ち解脱です。この解脱に二通りあるわけです。
 理性的解脱と感情的解脱です。理性的だというのは人間は何のために生きているのか、分らない分らないと言ったら理性的悩み苦しみですね。それが人間は生物的な存在であるが同時に理性を持つようになり、そして人間の存在価値を求めるようになったんであると、だから理性的存在価値それは、仏教的に言えば真理を悟ることによって、自分が真理と一体になることによって人間としての究極的な状態になる、これが人間の存在価値であると理論的に分れば、理性的に迷い苦しみが無くなったわけです。
 理性的に話としては分ったと。それを慧解脱というわけです。慧というのは智慧の、理性の面において苦しみから抜け出したというわけです。