釈尊の聖言 「清浄の心」

釈尊の聖言 
「ビクらよ、数ある木々の中にてフハンダの木(チーク材)ほどしなやかにして、便利なる木材はなきが如く、習い修めたる柔らかき心ほど役に立つはなし。
 ビクらよ、心ほど軽々しく転じ易きはなし。心はもともと清浄なり。その心、外より来る汚れのために汚さるるなり。智慧なき人は己を知らず、心を馴らすということなく、その汚れより脱することを得ず。
 この教の弟子は実の如く己を知り、心を馴らし調えるなり。」

「清浄の心」
◎柔らかな心−これはいろんな角度から自分や他、ものごとを考えることが出来る、また素直に指導を受けることが出来る心であろう。日本人は、中国・欧米の思想や文化文明をとり入れ易い柔軟な心を持っている。しかし新らしがりやなせいいか、宗教について深く考えようとはしないでいる。宗教を本質的に追求する柔軟な心こそ今日最も必要なものであろう。
◎生まれたばかりの子は、善でも悪でもない。賢でも愚でもない。受けついだ素質もあろうが白紙のようなものだ。育つに従って自我をのばせば、どうにもならぬほどに汚れ、やがて已の心に己が縛られる。ご縁に会えば、何びとでも己の心を宗教信心に目覚めさせ、自己を転回させることが出来る。習わねば本当の宗教に入ることは出来ないが、習えば必らず自己を転回することが出来る。まずこの宗教としての可能性を明らかにし、そこに心の調えを見出すべきであろう。心を実の如く知る、これこそ仏教の第一歩。

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