釈尊の聖言  「三宝への信」

釈尊の聖言
「ビクらよ、最もすぐれたる三宝への信あり。ありとあらゆる衆生の中、ブッダは第一に勝れたりと信じ、あらゆる法ダンマの中、むさぼりを離るる法、おごりをくだき、渇きをいやし、執着を除き、業報を断ち、はげしき愛をつくすニバーナは第一に勝れたりと信じ、あらゆる集団の中、如来の弟子のサンガは供養と布施と尊敬をささぐべき、世間に於いて無上の福田にして第一に勝れたりと信すべきなり。この三つの最も勝れたるを信ずる者には最も勝れし結果あるなり」

「三宝への信」
◎仏教の構成要素は三宝。仏けだけ、法だけで成り立つのではない。ブッダは衆生、人々の中の最高の人である−という受けとり方は日本では出来ていない。後期仏教が、ブッダの中身は法にあり、法は永遠絶対であるから、その法の現われのブッダは絶対とした為に、法とブッダが一体化し、三宝が不分明になる。
◎仏げ又は本尊として一つにしぼると有難味は増すが、理解の及ばないものである。従って理解を求めない人にとっては最高のものになるが、理解を求める人にとっては全く不要となる。已がどちらのタイプであるかをまず分析し、已に適した方を選ばねば、何ら自己の転回に役立たない。役立たねば単なる習慣となり宗教でなくなる。田辺聖恵

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