大手メディアの政治部長クラスの小沢嫌いは常軌を逸している。 岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記

■11月某日 石原慎太郎平沼赳夫とともに共同代表として立ち上げた新党の名称は「太陽の党」。岡本太郎大阪万博の為に造った「太陽の塔」や芥川賞をとった「太陽の季節」、「太陽の家」を想起させるが、新党としては月並みすぎてインパクトに欠ける。石原自身が第三局をつくるためにはこの党名は消えてもいいと言いきっているのだから、しまらない話だ。新党立ち上げの記者会見でも相変わらず田中真紀子命名の「暴走老人」と自己紹介し、まくらの話は90歳になる戦争未亡人の国を憂うる俳句から入った。ライブで映像を流していたテレビ局も早々に中継を打ち切ったほど、インパクトのない会見だった。何のために都知事を中途で投げ出して国政復帰するのかということの説得力も完全に欠けていた。新党といっても、「たちあがれ日本」というすでに終わった党に民主党離党組を二人加えただけの、お手軽なお色直し政党。行き場を失なった保守系タカ派の顔ぶればかりで、主張の異なる日本維新の会みんなの党との連携を模索するというが、常識的には到底うまく行くとは思えない。体質的に似た者同士の石原――橋下両人はともかく、政党組織ともなれば、橋下徹代表が「たちあがれ日本」に感じた直感的な時代錯誤に似た違和感は、大同小異のレベルではなく、致命的な決裂要因になるのではないか、と予言しておこう(苦笑)。
 野田総理は年内解散しない!と当欄で予言してきたが、案の上、民主党内から解散反対の声が噴出した。野田総理が年内解散の決意を固め、TPPを争点にして総選挙を戦うという憶測に乗っかってメディアは政局づくりに必死だったが、単に願望が先走っただけという事になりそうな気配だ。解散権は総理の専権事項ではあるが、求心力を失った野田総理では輿石幹事長ら民主党幹部の意志を無視して突っ張れるものではないはずだ。良くも悪くも党の常任幹事会の年内解散反対の決議は大きな縛りになるはずだ。まして、メディアが報じているTPPを争点にして解散総選挙となれば、民主党内のTPP反対派の大量離党を招くだけのことだろう。仮に、野田総理自民党の「うそつき」攻撃にたえかねて破れかぶれ解散に踏み切ろうとしても、後ろから羽交い絞めにされて止められるだけだ。「忠臣蔵」の中で、あの浅野内匠頭吉良上野介を斬りつけたシーンを思い出してしまう(苦笑)。
 とはいっても、筆者自身も野田政権に対する期待感はゼロ状態だが、自民党日本維新の会や「太陽の党」などの第三局指向組にも期待感は持てない。野田政権が続いている間に、霞が関官僚はやりたい放題だろうという事じたいは日本にとって最大のマイナス要因だが、その官僚組織に太刀打ちできる政党は見当たらない。最初は威勢が良かった橋下代表も、脱原発や消費税増税でもすっかり腰砕け状態。石原慎太郎都知事時代に霞ヶ関や都の官僚組織とどこまで本気で闘ったのか疑問だ。みんなの党の渡辺善美代表にしても、行革で官僚制度との戦いを至上命題にしていたはずが、あえなく打ち死にしたクチではないか。
 政権交代を成し遂げた民主党幹部の中で、霞が関官僚に対し正面から政治主導を打ち出した唯一の生き残りが小沢一郎であり、選択肢としては「国民の生活が第一」しかない。特に、沖縄的視点としては、である。しかし、米国から霞ヶ関、財界、大手メディアを敵に回したことで、検察による国策捜査のターゲットにされた。検察審査会指名した指定弁護士による控訴審でも無罪判決を勝ち取ったにもかかわらず、メディアは検察批判に踏み込むことなく、ほとんど無視状態だ。「生活」の支持率が0・8%というのも、意図的な世論操作による数字としか思えない。米国も霞が関もメディアも、小沢一郎が第三局で主導権を握って、日本版「オリーブの木」をつくってキャスティングボードを握ることに対する、既得権益派として多大なる恐怖心があるのだろう。何しろ大手メディアの政治部長クラスの小沢嫌いは常軌を逸している、というのがメディア・ウォッチャーとしての筆者の率直な見解だ。その視点で言えば、石原も橋下も渡辺もCIAによる分断工作の手先かもしれない(苦笑)。むろん、野田民主党と取り巻きの松下政経塾出の議員連中も、同類項である事だけは断言しておきたい。いやな渡世だなー(by座頭市)、という心境になるしかない、今日この頃のニッポン政界事情である。
2012.11.14