放射線を譲り合うというのは、必ずしも日本人の美徳とは言い切れない  岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日

■3月某日 歴史に永遠に記録される大惨劇となった東日本大震災からほぼ一年が経つ。メディアはいずれも大震災一周年特集を組んでいるが、被災地の復興はいまだに遅々として進んでいない何せ、いまだ避難者は34万人いるという。死者・不明者の総数は2万人を超えた。大津波に襲われた三陸海岸は漁業中心の町だったが、港や市場の修復もいまだ十分進んでいない。漁業の未来もまだ先行きは見えていない。港の周辺では防潮堤の建設計画が建てられたものの、その周辺には未処理の瓦礫の山が残されている。メディアは、震災・津波で身内を失っ遺族の悲しみや、屋台村などによる仮商店の復興、お祭りの復活を率先して取り上げているが、それはほんの一部にすぎない。大半の人々はいまだに家も店も立てられず、仕事のメドもついていない。家族バラバラの避難者たちの映像もよく取り上げられるが、怒りに満ちた被災者のホントの苦しみまでは踏み込んで描かれていない。
 日本国中「絆」だとか、「日本は一つ」などというスローガンの下、義援金やボランティアによる支援金は一日平均7千万円寄せられたというが、大震災から一年、国や行政による再建計画じたいは大幅に遅れている。これだけの想定外の大震災なのだから、行政もスピードを持ってやるべきだが、いまだに震災直後の惨状のままの被災光景も多々見られる。行政としても、津波に弱い海岸の平坦部ではなく、高台に新しい集落をつくるなどという計画もあるようだが、被災者にして見れば、がんじがらめの法律の特例を使ってでもスピーディに再建されることを願っているはずだ。
 これまで述べてきたことは、大震災と津波を受けた地域の事だが、福島第一原発の方はもっと悲惨だ。原発周辺は放射線量が高いため、原発事故時のまま、時がとまっている。必死で放射線量から逃げたままだ。時々、生き延びた野生化した牛や犬などが、放射線にも負けず餌を求めてさ迷い歩く姿が痛々しい。このあたりで、徹底した除染をやって、原子炉からの放射線量が出なくなるまで、10年、20年は最低かかるのではないか。いずれは家に帰って昔通りの生活を営みたいと思う人々は多いと思うが、その可能性は限りなくゼロに近いのではないか。いまだに炉心溶融した原子炉の内部事情すら把握されていない。福島第一原発廃炉は既定方針だが、おそらく40年近い年月がかかるはずだ。
 実は、沖縄でも、原発移住者や専門家たちと内輪で話す機会があった。移住者の一人の女性は東京に住んでいたが、もともと甲状腺が悪かったため、3.11の直後には体調に異変が起き、これは被爆の初期症状だと判断して沖縄移住に踏み切ったのだという。めまい、頭痛、吐血などの症状が出たという。3.11の後の水素爆発で風に流された放射線が関東地方にも降り注いだことが確認されている。個々人の差はあるにしても、ヨウ素によって甲状腺癌におかされる人も出てくるはずだ。その女性が語るには、那覇市の給食にキノコと秋刀魚がよく出されているという。キノコが放射線を吸収することはよく知られているが、秋刀魚といえば三陸が主な漁場である。一応、北海道産とされているが、取れたのは三陸沖産だとされているという。放射線の測定は十分なのか。
 で、その女性は、仲井真知事と野田総理と交わした会話、東北の瓦礫を沖縄が受け入れるとの案に大反対だという。それは、放射線の沖縄輸出にほかならず、那覇市南風原町の焼却炉で瓦礫を処理しても、焼却灰はでるし、沖縄の農産物にも風評被害が出るはずだという。船から運ぶ過程での流出もあるだろう。その女性たちは、チェルノブイリではないが、放射線汚染地帯は放棄して、そこに瓦礫や除染物質を集積することが、もっとも合理的だという主張だった。判断は読者にゆだねるが、放射線を譲り合うというのは、必ずしも日本人の美徳とは言い切れないことは確かだろう。棄損した原発のある大熊町双葉町周辺の住民には気の毒だが、国の焼却灰の安全基準は8000ベクトルというとてつもないものだ。原子力災害対策本部の議事録はたった76ページだった。米国や日本の民間団体の調査に比べれば、子供だましの報告書だ。政府を信用して、沖縄が米軍基地だけでなく、放射線量の高い島になれば、農業も漁業も観光も大きな打撃を受ける。その件について、ニコニコ動画あたりで大田昌秀元県知事を含めて関係者の鼎談をやり、筆者が司会・進行をやることになった。県には慎重な検討を望みたい。
2012.03.10