「ただちに影響はない」は限られた場合の話だった!? 枝野前官房長官の“問題発言”と“政治家としての責任”

何をどれだけ食べても飲んでも
「ただちに影響がない」わけではなかった!?

 おととい(11月8日)、枝野幸男官房長官は、言ってはならないことを言ってしまったようだ。

 衆議院予算委員会の席上、自民党村上誠一郎衆議院議員の質疑に対する答弁の中で、枝野氏の問題発言は明らかになった。

 「わたくしは3月11日からの最初の二週間で、39回の記者会見を行っておりますが、そのうち『ただちに人体、健康に害が無い』ということを申し上げたのは全部で7回でございます。そのうちの5回は食べ物、飲み物の話でございまして、一般論としてただちに影響がないと申し上げたのではなくて、放射性物質が検出された牛乳が1年間飲み続ければ健康に被害を与えると定められた基準値がありまして、万が一そういったものを一度か二度摂取しても、ただちに問題ないとくり返し申し上げたものです」

 開き直りもここまでくると見事である。

 仮に、一般論としての述べたのでなければ、なぜ一般論として報じ続けたテレビ・新聞などの記者クラブメディアに抗議を行わないのか。

 それこそ、国民の健康に害が及ぶ可能性のある「誤報」に対して、速やかな訂正を求めるのは政治家として当然の義務ではないか。しかも、それは自分自身の発言が根拠になっているニュースでもある。枝野氏が本当に、そう思っているのならば、大手メディアに対して訂正要求があってしかるべきだ。

 ところが、実際は、枝野氏はまったく逆のことをしでかしている。

訂正要求どころか「安全デマ」
「安心デマ」を広め続けた張本人

 枝野氏は当時、大手メディアではなく、内部被爆の危険性を指摘したジャーナリストたち、とりわけ自由報道協会所属のフリーやネット記者たちの報道を「デマ」だと断定し、取り締まるよう宣言したのだった。

 筆者も当コラムで何度も指摘したように、枝野氏こそ「安全デマ」「安心デマ」を広めて、多くの国民を被曝させた張本人ではないか。何をいまさら、と情けなくなってくる。

 いつものように、マスコミの罪はいうまでもない。枝野氏の「デマ」をそのまま報じ、結果として多くの読者や視聴者を被爆させたのは疑いのない事実だ。マスコミの結果責任は、問われなければならない。だが、記者クラブ制度のある日本ではその望みも薄いだろう。

 よって、私たち日本人は、今後発生するであろう健康被害に関しては「泣き寝入り」するしかないのであろうか。

 枝野氏の「ただちに影響はない」という言葉は、震災直後、一種の流行語になった。その言葉を信じて、被爆してしまった国民がいったいどれほどいることだろうか。放射能健康被害が明らかになりはじめる4、5年後を考えるだけで背筋が凍る思いである。

 さらに酷いのは、テレビなどに登場していた有識者たちだ。未曾有の犯罪的行為を行った政治家を「不眠不休でがんばっている」と持ち上げたテレビコメンテーターや評論家たちがなんと多く存在したことか。その行為ははっきり言って愚かという言葉しか当てはまらない。

 ツイッター上でも「枝野寝ろ(#edanonero)」というハッシュタグを通じて、枝野氏を英雄視する論調が広まった。それこそが風評の伝播という行為であるとも知らずに――。

なぜ当時、限られた場合の話だと
きちんと説明しなかったのか

 当時、ようやく入れた官房長官会見で、筆者は皮肉をこめて、そのことを枝野氏に尋ねた。

「枝野官房長官、寝ていらっしゃいますか?」

 大震災発生以来ほとんど寝ていないという枝野長官を労う意味もあって、筆者はようやく得た質問の機会の冒頭にこう切り出した。

「現地において、本当に厳しい状態で、寒さに耐えて眠れないという方も少なからずいらっしゃるという状況です。あるいは、救援、救難活動に現場で 努力をしていただいている自衛隊の皆さん、警察の皆さん、消防の皆さんはじめ、あるいは医療関係、不眠不休でやっていただいております。それだけではなく て、例えば、さまざまな行政機関の皆さんも不眠不休の努力を続けていただいております。私自身、もちろん政治家の役割責任はまさに判断をすることだと思っておりますので、その判断に悪影響を与えることは結果的に国民の皆さんにご迷惑をおかけすることだと、呆けない範囲で最大限やらせていただいている」 (2012年3月18日/官房長官会見)

(「週刊・上杉隆」第168回『海外諸国と日本政府、避難範囲50kmの差――枝野官房長官に「安全デマ」を問い質す』より)

 皮肉だと受けとめられなかったことは意外だったが、当時はまさしくそうした同調圧力が日本全体を覆っていたのだ。

 枝野氏はおとといの予算委員会の答弁の中で、改めて「これは『基準値超えの食品を一度か二度摂取した場合』に限られる」と説明し直している。

 では、枝野氏に言いたい。なぜ、当時、そのように説明しなかったのか。その同じ口からは一切そんな言葉は発せられなかったではないか。

もちろん、問題は7回という回数ではない。放射能漏れによる食品汚染に不安を抱く国民に、結果として間違った情報を与えたことが問題なのだ。

 何度も繰り返すが、政治はすべて結果責任である。

 判明したデータを淡々と発表するのならば、それは官僚の仕事にすぎない。枝野氏は政治家ではなかったのか。予防的措置も採ることができる政治家ではなかったのか。

 言い訳はいらない。自らの行動に責任が生じていることを示すためにも、なにより福島県民を代表とする日本国民を被爆させた結果責任からも、政治家としての出処進退は自ら決めてほしい。

 仮に、枝野氏が良心を残しているとしたら、今回の答弁だけでも訂正してほしい。それが個人的にももっとも信頼していた政治家へのお願いである。

週刊 上杉隆 【第199回】 2011年11月11日