不都合をコーティングする社会の異様さ

随筆集「水の透視画法」を上梓 辺見庸氏に聞く
日刊ゲンダイ 2011年8月13日掲載

「災厄には必ず何らかの兆しがあるもの。その予感を記したのが本書です」

<不都合をコーティングする社会の異様さ>

2008年から3年間、共同通信によって配信された随筆から76編を収録、「水の透視画法」(共同通信社 1600円)として一冊の本にまとまった。絶大無比な災厄の前には何か兆すものがあるに違いない、という思いのもと、7年半前の脳出血で自由がきかなくなった体を叱咤激励しながら、街を歩き、気づいたその小さな兆しを書き留めてきた著者は、一体何を見、何を感じたのか――。

これまで「もの食う人びと」や、「たんば色の覚書」など数々の著書で、常に日常とそこに生きる人々を見つめてきた著者。
最新刊の本書は、政権交代といった社会的事象から、散歩の途中で見た鳩の死骸まで著者の心を揺らした事柄、過去の記憶をすくい上げながら、そこに潜む不可解な“影”の透視を試みた文明批評である。
「災厄ってある日、突然来るものではないんですよ。必ず何らかの兆しがあるもので、僕は数年前から、このままでは済むまいと思っていました。その兆しを、身の周りの小さな事柄から世界的な事象まで感じたことを、予感めいたものを記したのが本書です。でも、まさかその結末が大震災だったとは……」
石巻市出身の著者は、テレビで故郷が海にのみこまれていく姿を見て呆然としたという。と同時に、まるで戦後を見ているような感覚に陥ったそうだ。
軍国主義だったのに突然民主主義と言い出した終戦後と今はそっくりです。国は、散々原発はクリーンエネルギーだと言い、マスコミも安全だと流してきたのに今や手のひらを返した態度。大マスコミがコメントを求めてきたけど、僕は『黙ってそうですかと聞いてきたのは誰だ』と怒鳴ったね。メディアに限らず日本人はオポチュニスト(ご都合主義)ですよ。不都合をコーティングして社会をつくってきた結果、痛覚をなくしただけでない、他者の痛みも感じない国民になってしまった。見て見ぬふり、ルールを守っているふりが普通になっていることが、僕は今一番気になりますね」
その兆しは、たとえば盲目のグループがカフェで席がないと告げられ出ていくが、実際には客が譲り合えばスペースがあったことをつづった「乳白色の暗がり」、生活保護を却下され、老人が熱中症で死んだ直後、国会議員が軽井沢研修を満喫する異様さに震える「ツユクサの想い出」などからも感じ取れる。
だが、それ以上に著者が危惧するのは、言語表現力の脱臼だ。
「ある女性が、造花のクチナシを“リアルタッチ”だ、水やりの手間が省けるなんてすごい“進化”だ、と言ったんです。ニセ物が本物を締め出しているのに、進化や快適と捉える感覚の鈍麻。これはあくまでも一例ですが、言葉までもコーティングし、不都合を見ないふりすることに、ぞっとしたんです。僕は震災を見たとき、これが結末かと思ったけど、今は新たな崩壊の始まりではないか、これからもっと悪くなるだろうと。こんな世の中をどう生きればいいか? こういう話をもっとすることじゃないですかね」

▽へんみ・よう 1944年石巻市生まれ。共同通信在職中に、91年「自動起床装置」で第105回芥川賞受賞。94年「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞、2011年詩集文「生首」で中原中也賞受賞。著書に「ハノイ挽歌」「しのびよる破局」など多数。