岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記 2011.08.01

■8月某日 電力会社が原発神話を維持するために、政・官・業だけでなくメディアや御用学者まで抱き込む戦略を展開してきたことは、もはや周知の事実だ。いわゆる「原発利益共同体」が国策を看板に無知な国民を情報コントロールしてきたのだ。経産省原子力安全・保安院古川康佐賀県知事も一般住民向けの集会でやらせの世論誘導を仕掛けていたことが発覚した。本来は、原発の安全性を厳しくチェックすべき立場の保安院が電力会社とグルになっていたのだ。極論すれば、警察と犯罪者がトモダチ作戦を展開してきたのが、日本の原発行政なのだ。保安院は即刻解体すべし、だ。古川知事も父親が九州電力の元社員で、古川知事自身も選挙の際は九電の全面支援を受けていたというから、電力会社はすべからく利害関係で動いてきたことがわかる。おいしい思いをしてきた連中がいる反面、昔から原発を批判してきた学者たちは、徹底的に排除され、市民運動家たちは公安警察の監視下に置かれてきた。国策である原発に反対する連中は国賊扱いされてきたのだ。東電の価値基準では、正義や真実は不毛とされてきたのだ。
海江田経産省大臣が国会の答弁中に涙を流すシーンがテレビでも放映された。玄海原発の再稼働では菅総理にハシゴを外され、部下である経産省の役人たちにはヤラセで裏切られた。上からも下からもコケにされたようなものである。大臣に中間管理職という言い方が適当かどうかはわからないが、まさに上からも下からも裏切られて管理職の悲哀を感じているところに、野党から「いつ辞めるんだ」と詰め寄られて、「もうしばらくこらえてください。お願いします。頼みます」と思わず男泣きしたのだ。野末陳平の秘書時代ならともかく、政治家としてはひ弱すぎる。かつて、「加藤の乱」の時、現在は自民党総裁谷垣禎一が男泣きしたことがある。それ以来、谷垣にはひ弱さ、情けなさのイメージが付きまとい、いまだに不遇を囲っているではないか。そもそも、東京一区で海江田氏の長年の宿敵だった与謝野馨菅総理が経済財政担当大臣に抜擢した時点で、辞表でも叩きつければよかったのだ。今回も、いつまでも進退をはっきりさせないために、野党側は突っ込みをいれているのだ。ポスト・管の総理候補にも名前のあがる海江田大臣だが、この涙で海江田株は大暴落である。まして、経産省官僚に煽られて時期早尚の原発再稼働で動いたのは致命的な判断ミスだったといわざるを得ない。
ともあれ、福島第一原発の事故によって民主党政権は醜態をさらし続けている。とどまることを知らない放射線の垂れ流しや高濃度汚染水の放出により、汚染地域は拡大の一途。まだまだ隠されている事実が次々と出てくるのではないか。前例のない大事故だけに、人体や生命に影響のある放射線の安全基準も、科学的な数字ではなく、行政レベルでの判断基準値。生涯被ばく量も100ミリシーベルトと発表されたが、これにどれだけの科学的根拠があるのか、専門家でもわからないのではないのか。原発事故の収拾は今回の東日本大地震の最大の課題だが、間もなく5か月目を迎えるというのに、いまだ「一定のメド」も立っていない。避難地区への帰宅を待ち望んでいる住民たちのために、はっきりと「5年、10年は定住するのは無理」という判断を下すべきではないのか。根拠のない願望だけで、これ以上避難住民たちの思いをもてあそぶべきではない。そういう政治決断をしない限り、原発の被害者たちは、いつまでも中途半端な生活を送らざるを得ない。気の毒すぎるではないか。
「一定のメド」といえば、菅総理。辞任を迫る仙谷グループには決断力も行動力もない。やはり、仙谷、前原、野田、岡田あたりでは政権交代すら実現できなかったという行動力のなさがよくわかる。谷垣自民党も手の打ちようがなく、菅総理は支持率低下や党内バラバラ状態に対しても無関心でゴーイングマイウェイ。「脱原発」が「減原発」にレベルダウンしたことで、原発再稼働、原発推進固執する巨大な抵抗勢力の存在がうかがえるが、福島原発の現状を見ていれば、人命よりも経済優先の「原発利益共同体」の連中は、高速鉄道事故で露呈した中国の国家指導者たちと同レベルではないか。

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