国策を問う  沖縄と福島の40年 〔後篇〕 (1) 露出した差別の構造 辺見庸ロング・インタビュー 沖縄タイムス

辺見庸ロング・インタビュー 
沖縄タイムス 国策を問う
 沖縄と福島の40年 10

〔後篇〕

徹底的な破滅から光


(1)露出した差別の構造

 −阪神大震災のとき、作家の小田実さんは「棄民」「難死」といった言葉を盛んに用いました。沖縄と福島、あるいは東日本大震災の被災地にも当てはまる部分はあるでしょうか。

 辺見 今回のテーマとして、沖縄と東北というのは、そのまま同質ではないんだけども、「サクリファイスの構造」としての近似性というのか、それはなくはない。米軍基地と原発。それが3・11で浮きたってきた面はあります。沖縄と東北かたどった道は、例えば東北の場合も国策に翻弄されてきた。歴史的には「白河以北一山百文」と言われたところです。日本の国の発展というのは本州西南部から進み、東北は一番最後。東北というのはもともと歴史的には独立した地域だったんだけれども、それが1189年の源頼朝の奥州征伐で局面が変わる。そこから東北の歴史というのが、いわば江戸や本州西南部に従属するものになりました。
 沖縄の場合は薩摩藩琉球侵略に始まりますね。それ以前は琉球王国として独自の政治、文化、言語を維持してきた。明治政府のもとで琉球が日本という[国家]に組み込まれていった一連の強制の過程、すなわち、1872(明冶5)年の琉球藩設置に始まり、79年の沖縄県設置にいたる過程で琉球王国は滅びた。「琉球処分」というこの歴史の根っ子を見ることなしに沖縄を語るのは困難です。サクリファイスの構造というのは必ずしも同質ではないけれども、近似性がある。高橋哲哉さん=東京大学大学院教授、今年1月に「犠牲のシステム 福島・沖縄」(集英社新書)を刊行=も指摘しているけど、沖縄の犠牲の構造、逆に言えば、沖縄差別の構造というのは、1609年の薩摩藩琉球侵略から現在まで続いていると思います。無意識に沈潜していた東北、沖縄差別と犠牲の構造が3月11日で露出してきたというのかな。
 さほど革新的な新聞とは言えない河北新報でさえ、東北と沖縄の近似性を指摘しはじめています。国策推進の中でサクリファイの構造をお互いにもっているということです。苦難の当事者になってはじめて気づかされたことは、中央政府は何もしない、国策遂行のためには「棄民」をするということです。東日本大震災から3ヵ月の昨年6月11日付河北新報は「中心に居ると、周縁が見えない」という書きだしで、国策に翻弄されてきた東北も沖縄も共助の精神を持ち、自立と自己主張が必要だという趣旨の社説を発表しました。注目すべき動きです。

 −沖縄ではケビン・メア氏の差別発言だけでなく、沖縄防衛局長の「犯す前に犯すと言いますか」という発言もありました。これも防衛省という組織の体質を浮き彫りにしているように思います。沖縄はそうした言動を繰り返し浴びてきたので、県民は「またか」という受け止めです。震災を機に、沖縄と東北をつなげてとらえる思考が芽生えたという変化を感じる一方で、沖縄は東北、福島とも違う「構造的差別」を受けているという声も根強くあります。

 辺見 沖縄と東北の差別には多くの異同があります。サクリファイスの構造というのはあるけど本質が違うし、深さも違う。原発は被災地の村長や町長あるいは知事も含めて、原発を呼び込んだのはあなたたちじゃないかというのがひとつある。東北の保守政治が中央政府を支えてきたこともあります。今になって被害者づらするのはオポチュニスティックという点もないじやない。原発を誘致し黙認してきたのに、突然に反原発派になるのには理由があるけれども、厳しい自省がもっとあっていい。原発の広告でテレビの番組をつくり、紙面をつくってきた日本のメディアと知識人。ここにも根源の反省はない。対するに、冲縄の米軍基地は沖縄が誘致したわけでは断じてないということです。見返り的に沖縄振興策と称してカネをばらまいて基地をのませていくやり方っていうのは、サクリファイスの構造として似た面はある。しかし同質ではない。サクリファイスの構造の深さ、長期性、過酷さにおいて東北と沖縄は本質的に違う。

 −確かに最も大きな違いとして、原発は地元が誘致するかたちをとりましたが、沖縄の基地の大半は「銃剣とブルドーザー」で住民から土地を強制接収して造成された経緯があります。その差異も含め、深く考えることから見えてくるものはあるのではないかという気もします。

 辺見 その通りですね。同質性だけを言うとしたら安直だと思います。確かに東京にいると、周縁、辺境というのが見えない。政治権力者は地方を政策遂行の客体、従属物だと見がちです。あるいは単なる票田と。そのような倨傲(きょごう)が強制という発想を生む。そうなのだけれども、責任主体の問題として、東北という地方は中央の単なる被害者か、犠牲者だったのかとなると、違う気がします。中央政治の加害を支える構造だって東北にはあったと思います。

 −吉本隆明さんの論考は沖縄でも感化された人が多いように思います。中でも復帰運動の盛んな1969年に発表された「異族の論理」は沖縄でも論争を喚起しました。東北の人たちには、この「異族性」という感覚はないのでは、と思いますが。

 辺見 ないですね。そこも明確に異なる。沖縄戦を見直したら、みんなすっ飛びますよ、はっきり言って。吉本さんは「異族の論理」で「本土中心の国家の歴史を覆滅するだけの起爆力と伝統を抱えこんでいながら、それをみずから発掘しようともしないで、たんに辺境の一つの県として本土に復帰しようなどとかんがえるのは、このうえもない愚行としかおもえない。琉球・沖縄は現状のままでも地獄、本土復帰しても、米軍基地をとりはらっても、地獄にきまっている」と指摘しました。いま、しみじみとそのくだりを思い出します。吉本さんが60年代末にそう揚言したことの意義は大きい。が、吉本さんが晩年もその考えを維持していたかどうかは分からない。沖縄をもともとどれほど切実に身体的に感じておられていたのか…。琉球・沖縄は、わたしにとっては、かっこうのいい理屈だけではすまない身体性のテーマであり、痛みの問題でもあります。

 −日本軍が自国の住民を虐殺した事実というのは、日本本土では有り得ない、経験し得ない出来事としてとらえられるのではないでしょうか。               

 辺見 そこは、沖縄の人たちは身体で知っているけれども、本土の人間はそれを見まいとする。目をそむけ実相を知ろうとしない。基地問題でもなんだかんだ言うけれども、結局はあなたたち、我慢してくれと。現在の朝鮮半島情勢とか対中関係を考えたら、どうしても沖縄の基地は枢要であると。3・11以降は特にそんな考え方が勢いをつけてきている。
 アリバイ証明としていろんな政治家が「沖縄詣で」をしている。首相とか防衛相とかね。しかしあれは、ただのアリバイ証明で結論は最初からある。協議次第では結論を変える気で沖縄入りしているわけではなく、政府案を承服させるために来ている。政府がこれほど礼を尽くしているのに、沖縄側はわがままで聞き入れてくれない、という世論をつくって、沖縄を再び日米軍事戦略の犠牲にしようとしている。僕にはそうとしか見えない。

 −「沖縄詣で」に来る閣僚らの場合、外形的には頭を下げたり、腰を低くはしているものの、内実は暴力性を帯びた行動のように感じます。これは被災地を訪ねる政治家の行動原理と共通した面はあるのでしょうか。

 辺見 そうですね、「沖縄詣で」は一見ソフトだけれど、実際には暴力的ですね。被災地を訪ねる政治家の行動原理と同じかどうか、一概には言えないけれども、「沖縄詣で」にはお願いどころか体のよい「強要」の気配がある。顔は沖縄ではなく本土に向いている。沖縄の意思より本土の世論を気にしているのです。