全現的に生きる

  『全現的に生きる』     
人は骨格だけで生きるのでない
肉付きも皮膚も手足も必要だし
血液も神経もすべて欠かせない
 どの様に生きるかという事は
 そうそう単純なものではない
 だから様々な試行錯誤をする
何かを学び又何かを考えるのは
納得する生き方を求めるからだ
そこに自己の全現があるからだ
              
[全現的に生きる] 仮に部分的に生きようとしても体の方は全体をフルに働かせている。それが生命の働きだとすれば部分的に生きるというのは自分の頭の中での自己限定に過ぎない。人間は全体で生きるようになっている。
   『人間はト−タルに全現的に生きる存在である』
 黙って座っていてもその人柄は自ずから現われる。何を考え何を行動するかによって人は常に全現的であるより外はない。そうであるならむしろ、積極的に自己を全現的に生きるのが人間らしい生き方となるのではなかろうか。            田辺聖恵