釈尊の聖言 「法による如来」

  釈尊の聖言 「法による如来」
 正法の王たる如来も法により、法を敬い、法を尊び、法を旗とし、法を主とし、かくの如き身口意の三業はなすべからず、かくの如き三業はなすべしと法による守護と支持を与うるなり。
法によりてのみ、無上の法輪を転ずる故に、その法輪はシャモン・バラモン・悪魔・ボン天その他、何者によりてもくつがえさるることなし。
  「法による如来」
 これは又何と明々白々たるホトケ様の言葉であろうか。ブッダは如来とも云われる。如とは在るがまま(真実の世界・抽象化すれば真理の世界)そこから来た(人々を正導するために)方である。平たく云えば法の世界から来た方である。従って法を根拠とし、法を普及させるのが仏け様の本質、狙いである。仏け様は法を尊敬する方であり、そこから宗教活動の意欲をかり立てて止まない方である。
 ところが一たび仏像としてお寺の奥深く祭られると、トタンにものを云わない、法をやさしく分かり易く解説して下さる仏教者でなくなってしまう。拝観料をとって拝ませる、演技者にさせられてしまう。一体どこに法があるのかという無法地帯になりかねない。
 宗教者(釈尊はその第一線者)は法を明らかにする事に自己のすべてを献身するものであると教えられる名言!