釈尊の聖言 「そしる者」

  釈尊の聖言 「そしる者」
 如来をそしるものに二人あり。一は内心に悪意をもつ者、一は誤れる信仰を抱くものなり。
 又二人あり。一は如来の説かざるを説けりと云い、一は如来の説けるを説かずと云うものなり。
「そしる者」
◎釈尊が理想の宗教者として、生きかつ活動していた時、この釈尊をそしる人々が居た。生きておられる釈尊と生きている一般者との間の事だから、信服する者もあれば謗る者もあるはず。ここに生きた宗教の姿実際がある。今日でも、宗教を毛嫌いする人、何でも盲信する人様々。
◎そしる人の二通りとは、全く感情的に云々する人、理性的に取捨判断する人。まことに見事な分類。
 感情的な人には事実を示すより外ないであろう。聞かないのだから。
 理性的な人にはまず先入観を取り除いてやらねばなるまい。説かざるを説けり、とする人は自分の感情をまぜ合わせ、自己防衛の意識で聞くのではなかろうか。現代でもまるで変らない人さまざま。素直に聞き、熱心に聞き、心を開いてゆこうとする者が少ないのを嘆いては居られぬ。