釈尊の聖言 「苦滅聖者」

釈尊の聖言 「苦滅聖者」
 ビクらよ、この集りに声を立つるものなし。清浄の善に立てるなり。このサンガは世間に見難く、供養にあたいし、合掌礼拝すべき無上の福田なり。このサンガの中には諸天の位、ボン天の位、不動の位、聖者の位に入れるものあり。
 諸天の位とは悪不善の法を離れて初禅より第四禅に入れるものなり。ボン天の位とは慈悲喜捨の四無量心を修めたるものなり。不動の位とは四無色定に入れるものなり。聖者の位とはこれは苦、これは苦の因、これは苦の滅、これは苦の滅に至る道と実のごとく知り終れるものなり。
「苦滅聖者」
◎釈尊の弟子集団がサンガ。声を立てる者がいないという事は、釈尊を信頼し、法に集中し、それぞれ修道し、その結果を得ている弟子達の集いだということ。この一事は、師と弟子のかねての在り方を端的に示している。信者や一般から尊敬され礼拝され、供養するだけの価値がある。寺を観光文化財とし、仏像の拝観料を取り、税金は払わず、毎夜ゴウ遊する案内坊主と何と見事な対比。
◎様々に修道の結果がある。それは何を学びどの程度に会得したか、自己評価が出来る。他から評価されるよりかえって厳しい。自分を偽る事も出来る。自己を過大評価する事も出来る。そしてその虚しさは全部自分に確実に帰ってくる。
 こうして次第にノボセが下がり、苦と苦の滅という、本来の自己目的へと的がしぼられてくるのだ。